https://www.chunichi.co.jp/article/397285?rct=newswotou
このようなニュースを見ていると、両者が火花を散らして議論しているように思われがちですが、肝心なことには何も触れていないのです。
ただのフェイク論争です。
だからいつまでもダラダラとやっているのです。
両者共このまま結論が出ない方が都合がよく、この記事を書いた記者も同様です。
聖徳太子の実在性について議論する場合、法隆寺の創建に触れないままでは一歩も先へは進めません。
法隆寺は当初、九州王朝倭国直属の観世音寺という名で607年大宰府に建てられ、その事実は名古屋市の大須観音宝生院(真福寺文庫)の『七大寺年表』に「造観世音寺」と記載されています。
同年表には708年「造観世音寺」「作法隆寺」ともあり、この表記が「法隆寺移築説」の肝となっています。
後者の見劣りする「観世音寺」が前者の立派な出来栄えの「観世音寺」が近畿に移築された後に、その事実を知られないために整備されました。
これで観世音寺は初めから大宰府にあったことになり、斑鳩で法隆寺が新築されたというストーリーが出来上がったわけです。
名刹を九州から盗んできてしまうくらいの扶桑国(後の大和朝廷)ですから、倭国の法興帝の業績を掠め取って聖徳太子をでっち上げるくらい簡単なことです。
以上を理解すると、冒頭にフェイク論争と述べた意味がよくわかっていただけると思います。
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