中、高、大、そして社会人となってからもお世話になった本屋さんです。
中学時代の通学路沿いのお店なので、ごく普通の町の本屋さんという認識でしたが、今思うと市内の書店群の中では別格で、広小路通りの丸善の次ぐらいのランクと断言できます。
http://aonokei.cocolog-nifty.com/syoten/2010/02/post-59f1.html
店内の建築学的構造も少しメルヘンチックでリラックス出来、ガキにとっては未来に向かって何かしら勇気が湧いてくる空間でした。
旭丘高校のポータルサイトを見ていたら祖父江慎氏がこの正文館について語る記事が目に留まり、昔を思い出したわけです。
記事の一部を引用します。
話したことないけど 祖父江慎
2021年8月7日 2:00 [有料会員限定]
大学受験に失敗して予備校に通っていた頃、昼休みの時間は必ず近くの書店に立ち読みに通っていた。
ちくさ正文館書店本店(名古屋市)だ。
参考書から逃げるような気持ちで学ぶ必要のない書籍を求めていた。
本に挟まっている注文カードのスリップをしおりにして毎日同じ時間に立ち読みに行く。
いやな客だったと思う。
お店の人(店長の古田一晴さん)がときどき僕の様子を見に来る。
僕はその都度一瞬、本を閉じて警戒する。
注意される...
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https://www.nikkei.com/article/DGKKZO74575550W1A800C2BC8000/
運命的な『法隆寺は移築された』との出会いは昭和区鶴舞の古書店でした。
『逆賊磐井は国父倭薈だ』は たまたま立ち寄った この正文館で見つけました。
よく覚えているのですが、その本の隣に並んでいたのが『源氏物語』に関連するものでした。
この書店の実力には鳥肌が立ちます。
勿論、米田史学を学んだ今だからこそ言える台詞です。
米田建築史学シリーズ2『現代を解く・長谷寺考』の編集後記に正文館が登場します。
その後、ちくさ正文館(名古屋市千種区)で米田氏の第四作『逆賊磐井は国父倭薈だ』を見つけ、第一作『法隆寺は移築された』と同様、四苦八苦しながら熟読した。
タイトルの意味するところは、我々が日本史でさらりと習う「磐井の乱」の磐井が実は九州王朝のすぐれた王で、その死後、阿弥陀如来や八幡大菩薩と目された方であるというのだが、現代の日本人の常識では、この説は理解不能と思われる。
著作では、薬師寺、東大寺、長谷寺についてユニークな見解が述べられているが、今回注目すべきは第3章の長谷寺である。