以前、住んでいた自宅が建て替えのために壊されると聞き見に行ってきた。
自分で設計した分、愛着はあったので少しセンチになるかと思ったが、それ程でもなかった。
それでも、内装をじ~っと見ていると蘇るシーンはいくつかある。
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例えば、友人と立ち上げたテニスクラブの仲間が集まるパーティーは数えきれない(写真赤丸部分が一致)。
日常・家庭生活は言うまでもない。
この程度の建物では“ロスに伴うストレス”は一日で忘れられるが、ランドマーク的な建築物ではそうはならない。
それらは複数の人々の思い出がいっぱい詰まったアルバムのようなもので、行政や建築会社に配慮のかけらもないのが情ない。
震災で無くしたアルバム、写真を復元することがニュースになる位なので、多くの人々が出入り、利用するビルなどは設計の段階から気合いを入れ、せめて100年は持つものを作ってほしい。
名古屋 栄の中日ビルは悪い見本の典型である。
昭和50年代後半。
建て前の日の午後のショットだが、昨今の建築風景との違いに気付いた。
何と足場がない。
大工のレベルはまだ高かったんだろう。
もちろん、次の工程で足場は組まれるのであるが。