理系の歴史  米田建築史学の骨子 | 民営文化センター

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民営の文化センターを開設するのが夢。このブログを書いているうちに何かヒントが掴めると思ってやっています。不器用で華やかさに欠ける画面ですが、少しでも世の為人の為になればとwrite everything forever

 

 

米田良三氏は古代寺院の免震構造と建築に用いられた物差しの各々が大きく分けて2種類あることと、それらの地域・時代背景をつぶさに検証しました。

 

 

 

その最初の成果が法隆寺であり(『法隆寺は移築された』)、後は芋づる式に長谷寺、薬師寺、東大寺等、名だたる大伽藍から、女性に人気のあるミニ寺まで北部九州からの移築である、と唱えました。

 

                   

                         倭国長谷寺跡  佐賀県三瀬村

               
                                                

                          倭国東大寺跡 大分県宇佐市

 

 

北部九州にはおびただしい数の廃寺や別称となった古くからの寺院があり、氏の説を補完すると共に今後の研究マテリアルとして意欲的な研究者の出現を待っています。

 

 

移築に伴い、地名も移動したのですが、地名同士の位置・方角、距離、周辺環境を元在った通りにセットすることは不可能です。

 

 

 

米田氏は文学作品(『住吉物語』等)を今迄誰もやったことの無い方法で分析し、乗っ取り王朝サイドの企みを見破ってしまったのです。

 

 

 

その他、本来なら、文系の研究者がすべき絵画についても鋭い建築学的分析(『源氏物語』における長谷寺等)を加えて移築の事実を補強しています。

 

         

              大和長谷寺では辻褄が合わず、

            佐賀ではピッタリマッチする場面