日本史の授業での“磐井の乱”“白村江の戦い”の扱いはまことに淡白であったと記憶している。
恐らく指導要領もそうなっているのであろう。
磐井が倭国の王であってはならないし、白村江のあと倭国が約70年間唐に占領され、その後、大和朝廷がバトンタッチして現在に至るなんて、口が裂けても言えないのだ。
倭国が自ら称える“日本”という国名を(大和朝廷は)そのまま拝借しているので、トリックはなかなか見破られないし、教育現場における“倭国”という表現が限りなく弥生時代のイメージに近いのも九州王朝の存在を分かりにくくしている。
大和朝廷は半島経由人が主導権を握って間接統治を続けており、倭国民(の末裔)から見れば現在の日本の実態は中国(唐)の属国と言える。
江戸幕末にはイギリスを中心とした白人が操る明治維新という革命で我が国は“何となく属国”となり、これでダブルの属国である。
大東亜戦争後は人工国家USが我が国を仕切り、属国統治の主体が明らかになった。
現在の自民党内の抗争は金と権力だけに目を奪われがちだが、ダブルの属国を任される親中派、親米派の面々がどれほど上記の歴史を理解しているのかにも注目だ。
その死後“阿弥陀如来”と称せられた磐井の幼名は“茂”である。
奇しくも石破氏と同じである。
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