椿市の推定地は当然関西ですが、『「平安」源氏』より350年古い『オリジナル(倭国)源氏』では、博多から佐賀に向かう早良街道沿いに在ります。
三瀬峠を下って右折して、すぐ左折して南に向かう細めの道が椿市のメインストリートです。
現在は「宿」という集落で、西に初瀬川が流れています。
地図は少し昔のもので、現在は赤いラインのように旧道に平行して新道が走っています。
ピンクのドットで示した界隈は一見、見放されたエリアのように見えますが、昔からの道幅が温存され、今後の観光資源価値も上がることでしょう。
写真は約10年前のものですが、玉鬘が現れるかもしれない雰囲気が好きです。
次の動画(https://www.youtube.com/watch?v=pUkNK-dDsb8)はバイク・マニアの方がUPしたものですが、終わりの方(2:48~)で旧椿市のシーンを見ることが出来ます。
そこにある“じゅげむ”というおいしい麺処の店長に『倭国源氏物語』の件をお話した所、共感していただいたのですが、店長自身がブログに話題を取り上げ、間もなくしたところで店仕舞いとなってしまいました。
流行っていた店なのに・・・・
上記エリアに関する記述は、米田良三氏と二人で現地調査を実施し、倭国長谷寺の存在を確信した体験に基いています。
当然のこととして、現段階ではアマチュアによる仮説ですが、プロの方も含め多くの方々に興味を持っていただきたいと思いUPしました。
立場によっては絶対に認めたくない人々がいるのは承知しています。

