ニュー・ファミリーなどと煽てられ、戦後の繁栄のメインロードを闊歩してきた団塊世代も、いよいよ人生の大詰めとなり、様々に論評される頃となりました。
わが国が世界から一周遅れのランナーに成り下がってしまった現状ですので、当然、団塊は八つ当たりに晒されます。
しかし、プラスにしろ、マイナスにしろ教育効果というものは直ちに次の世代に現れるわけではありません。
団塊の世代の親たちは一部を除いて、学徒動員に明け暮れ、ほとんど授業など受けていなかったわけで、その影響は彼等の孫(団塊の世代の子供)の世代にまで影響が及んでも不思議ではありません。
さらに、敗戦後の進駐軍による指導は、多くは語られないのですが、国の行く末を左右するほど強烈だったのです。
中学時代、校長が朝礼で「君たちは自由をはき違えている。本当の自由とはアメリカのように・・・」といった調子で、今となっては笑うしかありません。
いずれにしろ、一度教育レベルが低下すると、元に戻すのは大変です。一代で2割落ちた場合、そのままだと次の代では6割(0.8×0.8=0.64)のレベルになってしまいます。
母は「戦争の直接の影響を受けない日本の最後の輝きを体験する女学校時代を送った」と自負していたのですが、その頃の資料が「シューベルト教授の父兄の心得25カ条」であり、それをテーマにした『名古屋教育ママ物語』に掲載した当時の教科書一覧も貴重な資料です。
現代の教育現場のような派手さは無くても、人間形成も含めた教育を意識すれば、一見地味な教育環境が愛おしく思われるのです。
ガキの頃からスマホに振り回されているような昨今では、教育を論じること自体詮無い事です。