“センター” とか “統一” テストの類はすべて教育利権の一環 | 民営文化センター

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民営の文化センターを開設するのが夢。このブログを書いているうちに何かヒントが掴めると思ってやっています。不器用で華やかさに欠ける画面ですが、少しでも世の為人の為になればとwrite everything forever

 

後の世になって、H大臣は、日本再生に多大な貢献をした、と評価されるだろう。

 

「身の丈」は「忖度」と並んで、わが国を変えたキーワードと語り継がれる日が来るだろう。

 

昭和30年代、大学受験を控えていた頃、文部省と受験産業はグルだと直感していたが、当たっているようだ。

 

現在の受験生を巻き込む大混乱が「英語」の問題だけでは収まらず、「全国一斉テスト」、教育に関するすべての問題、さらには日本復活という最大のテーマにまで到達すると期待している。

 

ネーミングを色々変えても代わり映えしない「全国一斉テスト」が今に至っているが、もうやめたほうが良い。

 

ヒアリングのテストひとつとっても、装置に絡む業者の利権も莫大だろうし、聴力の弱いものが無視されている。

 

まずは、テストに絡む金の流れを明らかにすることだ。

 

最終的には、離島、過疎地からのチャレンジャーや懐の寂しい者たちが、絶対に不利にならない選抜方法を作り出さねばならない。

 

入れ替え戦の無いリーグ戦は衰退すると同様、逆転・下克上の可能性の無い世の中は“金だけ、今だけ、自分だけ”が蔓延して亡国にいたる。

 

方式としては「一発勝負」、合否の境界ラインの受験生については自身が参加する「抽選」とするなど、今後の検討に懸かっている。