『源氏物語』が高三の古文の授業で取り上げられる理由は、男女関係云々を授業で扱っても、その年齢になれば「まあいいでしょう」ということかな、と理解していた。
物語とはいえ「皇室の先祖はエッチ(昭和30年代にはなかった表現)である」と公にしていいのか? と不思議に思っていた。
しかし、〝物語の舞台を大宰府から京都に移し、九州王朝の出来事を書き替えるプロジェクトがあった〟 という米田説は絶対にバレてはならないので、授業で京都のイメージを若い頭脳に何度も叩き込まないと安心できないのだ。
それでも尚、不安なので何年間のインターバルで時の文豪ら(与謝野晶子、瀬戸内寂聴、田辺聖子、橋本治、円地文子、谷崎潤一郎など)に新訳を書かせたのではなかろうか。
自分の創作のための時間を削ってまでして現代語訳に取り組む作家がこんなにもいるのだろうか?
かなりのギャラを貰わないと割に合わないように思う。
『源氏物語』がそれ程素晴らしいと言ってしまえばそれまでであるが・・・。
最近、身近なある人から「紫式部が九州に居たわけないだろう!」と言われた。
古文の授業の絶大な効果を感じるのは、こんな時である。
『続 法隆寺は移築された YONEDA’S 建築史学入門』で米田氏は以下のように述べる。
源氏物語は筑紫起源
平安時代、西暦1000年頃に紫式部によって書かれたとされる『源氏物語』は今や世界文学の一つと認められ、海外においても作品研究が盛んである。
国内におけるこの古典に関する研究が伝統的に盛んであることは言うまでもないが、私の不勉強のせいか本質に迫る研究を知らない。
近代以降、藤岡作太郎の研究以上のものは現れていないと考えるが、いかがか。
すでに『列島合体から倭国を論ず』の博多論で述べたところだが、本来の源氏物語は650年代から660年代におそらく紫式部(初代)によって書かれている。
しかも物語の舞台は筑紫の京(現 太宰府都城址)である。
その「京」の面影は、我々が知る筑紫の歴史においてほぼ消えている。
だが、さらにその周辺の変化は大きい。・・・・・・
世界の研究者たち、ボーっと研究していると、チコちゃんに叱られるぞ!
米田氏は「オリジナル『源氏物語』は宮内庁が持っているかも・・・」と言っていました。酒を飲みながらの話だったので間違っているかもしれないけどね・・・