自動車を始めとする製造業における“人間のバイオリズムを無視した勤務体制”がいつ始まったのか知りたかったのですが、連休を利用した断捨離の最中に昔買った本が出てきて判明しました。
たまには整理するといいことがありますね。
興味深いのは、当時労働組合は「夜勤」反対だったのですが、“一時的には止むを得ない”という条件だったようです。
それが今になってもズルズルと・・・・
1962年といえばアメリカ映画「アメリカン・グラフィティ」で描かれている時代、というのが暗示的ですね。
鎌田 慧(さとし)著 『自動車絶望工場 ある季節工の日記』現代史出版会 昭和48年12月5日(初版)からの引用です。
1973年1月9日
「だれだい、いったい、昼夜勤務なんてことを考え出した奴は……」
この半年間に勤務形態は3回変えられている。
8月までは昼勤。
9月から12月までは連続二交代制、そして1月から昼夜二交代制。
それも労働者になんの相談もなく。
ただ一方的に増加する生産台数を消化するために、人員を増やさず、労働時間(残業)の延長だけで切り抜けている。
トヨタで二交代勤務が始まったのは、1962年(昭和37年)からである。
「会社は9月10日から元町工場の全面二交代勤務を実施したいと提案してきた。
組合はこれを検討した結果、変則勤務には反対であるが、自動車産業の現状から止むを得ないとしてこれを了承……」(『20年のあゆみ』トヨタ自動車労働組合)
『トヨタ新聞』1月1日号で、豊田英二社長は、ことしの見通しについて「国内販売の155万台と輸出の80万台とを合わせて、12%増の235万台をぜひ達成したい」と語っている。
夜勤については過去ブログでも書いています。