建て替え事業はいつも“地震災害というショックドクトリン”が利用される。
阪神淡路の後、母校(一中以来の校舎)の建て替え反対運動の先頭に立ったあの人なら分りそうなものだ。
コンクリート天守閣とはいえ、戦後の何もない時代、市民が協力して建てた文化遺産なのだが、それをあっさり壊すのに何の躊躇いも感じないのだから、校舎建て替え反対運動のリーダーのやっていたあの人の振舞いは明らかにダブル・スタンダードである。
以下 愛知一中校舎建替反対運動顛末異聞 地域外人 不要読
もっとも、あの校舎建て替え事業はアンチ・一中派による伝統潰しと、セントレア中部空港の埋め立てに使う土留め用のコンクリート塊が急いで必要だった、という裏話は表沙汰にはならなかったが・・・
話のついでに言うと、古い校舎は消え、「一中落ちた」と公言していた あの政治家の恨みは消えたかに見えたが、新校舎になってからの旭丘高校の躍進(医学部に何人等、進学競争データはあまり意味がない)には目を見張るものがあり、もはや入試制度の変更は通用しないご時世、という皮肉な結果になった。
もう一つの変化は、建て替えより前の出来事だが、志望校に入(はい)れる確率が半分になってしまう学校群制度を嫌った旭丘OGたちは息子をライバル私学校に向かわせたのである。
入試制度改革の張本人が自分の息子をその私学校に入れたことを彼女たちはしっかり見ていたのだ。
さすが、名古屋嬢である。
今ではその私学校の校風は旭丘と似たものになっている。
制度をいじると、世の中が変わるという事例である。