観世音寺を舞台にした二話(先達はあらまほしきものですが・・・) | 民営文化センター

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民営の文化センターを開設するのが夢。このブログを書いているうちに何かヒントが掴めると思ってやっています。不器用で華やかさに欠ける画面ですが、少しでも世の為人の為になればとwrite everything forever

 

 

 ①太宰府にある観世音寺には五重塔の心柱を支えていた礎石(心礎)があり、傍らに表示(写真)があります。

 

 この表示が建てられるきっかけというのが私自身にあることを告白します。

 

 

 10年以上前、米田良三著『法隆寺は移築された』に触発され、夫婦で観世音寺を訪れた際、まさかあんなに心礎が大きいとは夢にも思わず、周辺をウロウロしていた所へ、ある男性が現れ“正解”を教えてくれたのです。

 

 

 後日、これを契機に表示を立てた、と聞きました。

 

 

 その方は“太宰府ナビゲーター”を名乗る田中という人で、その後の取材でも随分お世話になりました。

 

 

 米田氏との三瀬村の倭国長谷寺跡地探訪の際には、車中で繰り広げられる“米田説”に定説派の彼がパニックになってしまったのも懐かしい思い出です。

 

 

 ②4年前、観世音寺のエキスパートになったつもりの私は、夢中になって昔の仲間たちに三十三間堂跡を案内していて、つい日本最古(?)の梵鐘を案内するのを忘れてしまったのです。

 

 

 もちろん後で謝りましたが・・・

 

 

 折角の先達でしたが、時には当てにならないこともあるという教訓として読み流してください。