司馬遼太郎が古代史をやらなかった理由 | 民営文化センター

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民営の文化センターを開設するのが夢。このブログを書いているうちに何かヒントが掴めると思ってやっています。不器用で華やかさに欠ける画面ですが、少しでも世の為人の為になればとwrite everything forever

 

 

 

 米田良三 著『東アジアの悲劇』改訂版できました。

 

 

 ハードカバー、カラーA5版です。

 

 

 興味のある方はGメールabandjcclub@gmail.com

下さい。

 

 

  今回は遺稿「清明上河図論」、「石山寺論」が追加され、まだ世界中の誰も知らない説が展開されます。

 

 

  米田建築史学の素晴しさは“発想”に自由があることです。

 

 

  それなりの地位を獲得した学者さんたちは“現状”を変えてはならないという“不自由さ”を抱えているわけで、どちらが面白いかは明らかでしょう。

 

 

  最近、テレビ、出版界に再び歴史ブームが到来したかのように見えますが、戦い(白村江~壬申)には触れるものの、

 

 

本来の日本の国である倭国九州王朝を歴史から消したままでは、新進気鋭の若い学者も、ただの老いぼれ学者と同じです。

 

 

  司馬遼太郎は総てを知ったうえで当たり障りのない時代区分の中を泳いでいたと言えます。

 

 

 「古代史はやらない」と断言するのを聞いたことがあります。