仏像に興味のある人は一定数いると思うのですが、梵鐘に関してはそれ程でもないようです。
本格的なブームが将来起こるかもしれませんので、梵鐘の歴史の急所だけを押さえておきたいと思います。
信じられない内容(今までの偉い先生の説は嘘ということになる)ですが、米田良三氏が唱えた説により、探求心はどんどん膨らみます。
先ず、観世音寺の梵鐘は日本最古ではありません。
観世音寺が移築されて法隆寺になったのですから、最古の梵鐘と言ってもよさそうなのですが、最古の寺は長谷寺なのです。
倭国の時代、佐賀県三瀬にあった時の長谷寺の梵鐘(522年製)は江戸時代に知恩院に運ばれました。
それに先立ち、寺そのものは700年代初めに現在地に移築されています。
福岡県八女市の東方に位置する倭薈の仏教道場にあった梵鐘(525年頃製)が現在、方広寺にあるもので、家康がイチャモンをつけた“国家安康”などの文字は遥か昔に彫られたものです。
東大寺は大分県宇佐から移築されたのですが、梵鐘は550年頃作られたものです。
これら三大大梵鐘がサイズ、デザイン、質感、完成度が酷似していることから、同じ頃、同じ工房で作られたことは納得できます。
そんな昔にこんな優れたものが・・・ と言う人は進化論の裏側に思いを馳せて下さいね。
「ゆく年くる年」の中継で聴く知恩院の鐘の音が、倭国時代の長谷寺の一角(現在の三瀬村の善正寺)で鳴らされ、紫式部や清少納言(平安時代の偽者ではない)が聴いたものと全く同じだと思うと、興奮は最高潮に・・・