現在の福岡市内 三宅廃寺跡一帯に倭国石山寺はありました。(米田建築史学)
「三宅廃寺発掘調査報告書」の「あとがき」を読むと、発掘は終えたものの、考察は全くなされていないことが分かります。
スプーン、櫛、古銭(富壽神寶)が出土したとなると、「米田説」と無縁の学芸員はレポートをどのようにまとめてよいのか、途方にくれているに違いありません。
倭国石山寺の実在性が注目を浴びるのは時間の問題です。
「あとがき」を引用します。
三宅廃寺の発掘調査から1年余りを経てようやく報告書を発行することが出来ました。
他の業務との中で本格的に整理が行なえたのは12月中旬からで本書を上梓することができたのは多くの人達の協力と援助によるものです。
しかし期間ならびに問題意識の不足から遺跡・遺物に対する検討が不十分であったことは認めざるをえない事実です。
その反省の上に立ち本書では事実のみを報告し、他の問題点は今後の課題として取り上げていきたいと思っています。
「三宅廃寺発掘調査報告書」あとがき
文中の「問題意識の不足」とは何を指すのでしょう?
スプーンは正倉院にあるものとそっくりですし、櫛は元祖紫式部の落し物かもしれませんので、腰が引けてしまうのは無理からぬことです。
「清明上河図」という絵巻の最後に出てくる建物が石山寺のイメージです。(TOP)
この件は、812、117、911、311並みの世界レベルの秘密です。
今、「日本スゴイデスネ!」が流行っているのですが、その本当の理由(日本の凄さの源流は全て倭国)が分かってしまうので、絶対に種明しされてはならないのです。