法隆寺金堂壁画について“突飛”と言われる米田説を離れ、定説(一例として『二万年の日本絵画史』宮島新一 著)を見てみましょう。
まず、法隆寺の建造物は「670年焼失した後の再建」であり、「再建なった後の金堂壁画」は「708~710年頃の制作」としています。
そして、「則天武后期の美術をいち早く取り入れたのが法隆寺の壁画と五重塔の塑像群であった。」と述べているのですが、実際は100年弱遡る創建・観世音寺時代のものでありますので、則天武后とは無関係です。
著者は「天蓋部分の文様が装飾古墳の鋸歯・円文に類似する点」を指摘していますので、「法隆寺の壁画には倭薈に始まり、延喜・天慶・天暦の4人の帝という実在した人物が描かれている」ことに気付くまであと一歩というところです。
“実在の人物”と気付かれないようにするのが歴史研究者の役目ですので、本当の歴史を話題にしたいのなら、プロになってはならないのです。