旭丘高校の学校祭の開催日程が遅いばかりでなく、
1週間のロングランというのも全国的には珍しいそう
です。
いよいよ懐かしい校門をくぐります。
しかし、目の前に現れた校舎は昔のもののパロディーかと一瞬思ってしまいます。
筆者の校舎についてのこだわりは半端でなく、この件については、後の回で触れることにします。
テント張りの受付でプログラムを購入。
担当の生徒君が「制作に1冊当たり150円掛かったんですよお」と言ったので200円渡し、「釣りは要らない」と言ったら2冊渡してくれました。
受付の二張りのテントの谷間越しに銅像が見えますが、この人物については次回触れます。
裏門から入った左手にある垂れ幕です。
生徒会長だった同級生のT君が学校新聞に寄せた一文の部分です。
当時は「凄いなー、敵わんなー」と思ったのですが、今、思うと「一寸、突っ張っていたんじゃないかなー?」といった印象です。
本人に聞いたら、頭を掻きながら「いやー、あの時はねー・・・」と言うような気がします。
これはラグビー部 T君の文章です。
現在、時々NHKラジオで早朝、声を聞くことが出来る評論家のあの人です。
これらに引き換え、豊かな時代を反映しているのか、プログラムを読む限り、現役諸君の文章はまことに軽いタッチであり、「文章は時代を表わす」ということが良く分かります。
昔は国語力を競っていたように思います。
「学内文書などに見る生徒の文章表現の時代的変遷」というテーマで研究すると面白そうです。
昨今では、表現力については「日本語は程々で良く、英語力が物を言う」という考え方が主流ではないかと危惧します。
つまり、「程々で良い」などと言っているうちに国が傾いていくんじゃないかと心配なのです。
・・・というようなことを考えていたところ、以下のような新聞記事を見つけました。
成る程
To be continued