現在、『長谷寺本堂調査報告書』を読んでいる最中ですが、奈文研の研究者たちの真面目な仕事のお陰で歴史の真実に近づくことが出来、楽しい限りです。
普段は絶対に見ることの出来ない観音様の頭の周りを囲む空間のカラー写真に感動しましたので紹介します。
現物は公開を憚られますので、スケッチで・・・(上図)
まず驚くのは太く丸い柱、それに連なる板壁に描かれた絵です。
どう見ても江戸時代の絵ではありません。
その太い柱の上方で突如、絵が寸断されており、よくよく見ればそこでは柱が継ぎ足されているのです。
足(た)された柱からは部材が横に走り、そこが小屋根の基点となっているようです。
多くを語る必要はないと思いますが、このような構造は素人が見ても新築ではありえないですね。
継ぎ足された部材は比較的新しく、江戸時代のものでしょう。
絵が描かれた柱は創建時(500年代初め)のものと思われます。
長谷寺の大悲閣の度重なる火災の記録は米田良三氏の言う通り総て虚偽であり、実際はその都度改修工事がなされたと考えます。
最後の工事は江戸時代の初期に当時のゼネコンである中井家が担当しました。
あのような部分の柱を継ぎ足したとすると、改修前の本堂全体は相当傷んでいたと思われます。
超貴重な写真の掲載に感謝の念がこみ上げてまいります。
このテーマに初めて接した人は、何故、観光案内より由緒のある、もうひとつの歴史が存在するのか理解できないと思います。
世界に向けて胸が張れる内容なのに何故?と思われることでしょう。
まさに、この点が米田建築史学の醍醐味なのです。