多賀城 は「ほつまつたえ 」にも登場する縄文時代の日本の主要スポットです。
扱う時代はもっと下り、多賀城は考古学では大宰府と一緒に論じられることが多く、ともに都から離れた地域でありながら時を同じくして文明圏として栄えていた、ということになっております。
大宰府に関して倭国時代の驚くべき事実が次々と発見されていますので、多賀城についても同じような新事実が報告されてもいいはずです。
例えば多賀城廃寺の伽藍配置は観世音寺と同じです。
礎石を計測すれば倭国の物差し(ィ尺)が使われていたことが証明されると思います。
表の歴史では、大和朝廷の東北支配は724年に始まったとされ、その頃の東北は野蛮人の集合体であったというようなイメージが植え付けられています。
つまり、本当の歴史が全く教えられていないので、観光地としての魅力がいつまでたっても出てこないのです。
古代史に限らず、5年前の不自然な地震・津波の真相など、すべからく謎
というものは早く解明されるべきと考えます。
良い世の中を望むのなら・・・