校医をしている中学校で垣間見たことを書きます。
新1年生のアルファベットの練習帳を覗いたのですが、ブロックレター オンリー で筆記体は出てきません。
先生方に聞いてみると「今はそう」なんだそうです。
昭和30年代「ペンマンシップ」という練習帳で4月いっぱい時間をかけてマスターしたものです。
その後のことを考えると、この1ヶ月間は全然無駄ではありませんでした。
鳥飼玖美子ちゃんが新著 で、語彙を増やすには聞き流すだけではダメで、書いて覚えるといいと言っています。
書いて覚えるには筆記体が必須です。
今でも、いいところの子供たちはちゃんと筆記体を学んでいるはずです。
意図的に学ばせないとしたら、これは格差維持装置です。
基本5文型も公教育では止められているそうです。
教育理論抜きで小学校から英語を学ばせても、日本語の学習時間が減るだけで、奴らの思う壺です。
治りそうで治らない慢性疾患の治療体系と同様、身に付かない英語教育はよく似た利権構造なのでしょう。
アメリカがフィリピン人に行った英語教育はわざと上達させない方式であったのは有名で、日本が台湾で行った日本語教育とは対照的です。
美しい筆記体 は教養です。
因みに、母の時代も「ペンマンシップ」はありました。