2013年の秋、何の予備知識も無く京都駅からすぐの東本願寺の飛び地である渉成園に立ち寄りました。
広い庭の中に家屋が散在し、なんとなく桂離宮のような雰囲気でもありました。
中でも目に付いたのが傍花閣で、風変わりなデザインの意味が理解できませんでした。
年が明けて届いた米田良三氏からの年賀状に傍花閣がデザインされている偶然には驚きました。
米田氏によれば大谷大学の起源は江戸時代初期まで遡り、宗教的には大宰府観世音寺と繋がりがあり、傍花閣は観世音寺の付属の建物の移築ではないかとのことでした。
「清明上河図」に描かれる建物群の中には似たようなデザインの建物が散見されることから、寺院のみならず一般建築も九州から移築されていることが理解でき、ますます倭国のイメージが膨らみます。
この件については『柿本人麿の真実』22ページの年表が参考になります。