映画「ちはやふる」を観て | 民営文化センター

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民営の文化センターを開設するのが夢。このブログを書いているうちに何かヒントが掴めると思ってやっています。不器用で華やかさに欠ける画面ですが、少しでも世の為人の為になればとwrite everything forever






百人一首(競技かるた)が軸となって展開する青春物語ですので、公開を楽しみにしていました。




実に楽しい映画です。(予告編)




オーバーな描写は実際の競技では どれほどのものか知りたくなりました。




普段、仕事では殆ど お年寄りが相手ですので、広瀬すず嬢を始めとして、若い俳優さんの演技から元気をもらえます。






百人一首の成立の時期についてはひとまず置くとして、和歌そのものについて米田説の一端を紹介します。




学校で習うものとは全く異なりますので、匙を投げる人が続出することと思いますが、




既刊の8冊を読めば納得できるようになり「日本人でよかった」という気分になれると思います。







百人一首は筑紫の京(現太宰府都城)と加茂川(現 御笠川)を下った近江海(現 福岡市街)に面する難波津(現 博多)を中心に、





郊外の吉野(現 吉野ヶ里)辺の奈良京や隠国(こもりく)の初瀬(佐賀県佐賀市三瀬村)などを舞台に詠われた歌が骨格を占めていることが分かる。





歌人は万葉歌人、古今歌人、新古今歌人と年代順だが、前半は6番に詠われる継体軍の奇襲を中心に構成されていることが分かる。





1番が奇襲直後の帝である延喜帝、10番が延喜帝の息子、17番が殺された奈良帝の孫である。





01 秋の田のかりほの庵のとまをあらみ わがころもでは露にぬれつゝ 天智天皇



06 かささぎの渡せる橋に置く霜の 白きを見れば夜ぞ更けにける 中納言家持



10 これやこの行くも帰るも別れては 知るも知らぬも逢坂の関 蝉丸



17 ちはやぶる神代も聞かず龍田川 からくれなゐに水くくるとは 在原業平朝臣



在原業平は奈良帝の孫である。


 



大倭歌聖 柿本人麿 の真実 米田良三 著 より