A1.浄瑠璃寺のお堂の柱間をメジャーで測れば、(倭国の1尺が28.1㎝ですので)一発で分かると思いますが、建物、仏像とも九州から運ばれたものでしょう。
大和朝廷以降は、その他の仏像についても、卍マークをわざわざ消そうとした痕跡が随所に見られる位ですので、この件について権力側はかなり神経質になっていたと思われます。
浄瑠璃寺の阿弥陀如来像は平等院鳳凰堂 のそれに作風が似ているように見えます。
同じ時代の、同じ工房で出来たものと考えます。当然、平等院も移築されていることになります。
この件については『東アジアの悲劇』 に詳しく書かれています。
A2.「南無八幡大菩薩」、「南無阿弥陀仏」のいずれにしろ、金堂の主仏が阿弥陀如来であると現代の僧侶たちも認識していることはあきらかです。
つまり僧侶の上の方の連中は総て(九州王朝の存在など)を知っていて、「神仏習合」を実践しているわけです。
何気ないテレビ番組でしたが、見ていて思わずひっくり返りそうになりました。