小倉山から下り、倭国東大寺跡はすぐです。
終戦直後、米軍は日本全土くまなく精密な航空写真を撮っています。
得られた情報は米国の国益にかなう部分もあったと思われますが、日本の考古学、歴史学にとっても大いに役立っています。
米田良三氏はこの小倉山周辺の航空写真を分析し、大和へ移築する前の東大寺跡を暴いてしまいましたので、九州王朝の存在を否定したい側にとっては、米国は負の働きをしたことになります。
倭国長谷寺跡に関しても同様のことが言えます。
現在、小倉山周辺は整備された広大な田圃が広がっており、「ここが東大寺跡である」と特定しづらいと思いますが、まずは東西にやたら長いストレートな道(赤い線)に注目します。
米軍写真(昭和20年代初頭)にも写っている この道は当時の農道としては異例な長さであり、中門前の通りの跡であろうと思われます。
写真はそこからの伽藍跡全景です。
前回述べたケータイ用の電波塔を遠くに眺め、小倉山と東大寺の位置関係が分かります。
右手前にコンクリート製の水路が見えますが、その工事の際に版築(ばんちく)など何らかの考古学的発見があったはずです。