ついに小倉山登頂 Dreams come true ! | 民営文化センター

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民営の文化センターを開設するのが夢。このブログを書いているうちに何かヒントが掴めると思ってやっています。不器用で華やかさに欠ける画面ですが、少しでも世の為人の為になればとwrite everything forever


小倉山を望む



小倉山に登るには3通りのルートがあるようです。



勝手に1.iichikoルート 2.ニシノユニティ・ルート 3.小倉池廃寺ルートと名付けました。



我々は2を選びました。


途中までスレ違い不可能な一本道を車で登り、中腹のミカン畑の横に車を停めました。



ここからの小倉池は絶景です。



神々しさすら漂います。


阿弥陀来迎図の舞台というのも納得出来ます。

こからは徒歩でしか進めません。



車で進むのはだんだん無理になります。




ケータイ用の電波塔












途中、ケータイ用の電波塔が立っています。



「聖地に何ということをするのだっ!」と腹を立てることもありましたが、小倉山の位置がどこから見ても分かり、好都合と言えます。



程なくして、緩やかに膨らんだエリアが現れ、ここが米田氏の言う終焉の地と想像します。



米田氏は「筑後国風土記逸文」を基にこの地を同定したようですが、そのほかの文献などにも目を通した上での結論と思われます。



倭国王薈(後に阿弥陀如来と見做される)がここに埋葬されている可能性は充分にあると思います。



それ故、iichikoは1480年以上の時を経て、阿弥陀の霊気を含んだ特別なお酒と言えるのではないでしょうか。



この小倉山を整備し、倭国の時代の人々が国王薈を慕って歩いた巡礼ルートを復活させれば、地域おこし、観に大いに資することになると思います。