小倉山を望む
小倉山に登るには3通りのルートがあるようです。
勝手に1.iichikoルート 2.ニシノユニティ・ルート 3.小倉池廃寺ルートと名付けました。
我々は2を選びました。
途中までスレ違い不可能な一本道を車で登り、中腹のミカン畑の横に車を停めました。
ここからの小倉池は絶景です。
神々しさすら漂います。
阿弥陀来迎図の舞台というのも納得出来ます。
ここからは徒歩でしか進めません。
車で進むのはだんだん無理になります。
途中、ケータイ用の電波塔が立っています。
「聖地に何ということをするのだっ!」と腹を立てることもありましたが、小倉山の位置がどこから見ても分かり、好都合と言えます。
程なくして、緩やかに膨らんだエリアが現れ、ここが米田氏の言う倭薈終焉の地と想像します。
米田氏は「筑後国風土記逸文」を基にこの地を同定したようですが、そのほかの文献などにも目を通した上での結論と思われます。
倭国王倭薈(後に阿弥陀如来と見做される)がここに埋葬されている可能性は充分にあると思います。
それ故、iichikoは1480年以上の時を経て、阿弥陀の霊気を含んだ特別なお酒と言えるのではないでしょうか。
この小倉山を整備し、倭国の時代の人々が国王倭薈を慕って歩いた巡礼ルートを復活させれば、地域おこし、観光に大いに資することになると思います。