『源氏物語』が高3の古文の授業で取り上げられる理由は、男女関係云々を授業で扱っても、その年齢になれば「まあいいでしょう」ということかなと理解していました。
物語とはいえ「皇室の先祖はエッチ(昭和30年代にはなかった表現)である」と公にしていいのか? と不思議に思っていました。
しかし米田説では「物語の舞台を大宰府から京都に移し、九州王朝の出来事を書き替えるプロジェクトがあった」のです。
絶対にバレてはならない内容ですので、授業で京都のイメージを若い頭脳に何度も叩き込めば安心です。
それでも不安ですので何年間かのインターバルで時の文豪(与謝野晶子、瀬戸内寂聴、田辺聖子、橋本治、円地文子、谷崎潤一郎など)に新訳を書かせたのではないでしょうか。
イケない!又考え過ぎてしまった。
自分の創作のための時間を削ってまでして現代語訳をする作家がこんなにもいるのだろうか? かなりのギャラをもらわないと割が合わないように思います。『源氏物語』がそれ程素晴らしいと言ってしまえばそれまでですが。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1078196215
最近、身近なある人から「紫式部が九州にいたわけがないがや」と言われました。
一見、あり得ない説を発表するため、本が発行されるのですから、読まないで断定されてしまえば、どうしようもありません。
また、「どうして観世音寺は移築されなければなかったのか」と聞いた友人がいます。
「まず読めばいいじゃん。人生、手抜きするな!」と言いたいところです。
古文の授業の絶大な効果を感じるのは、こんな時です。