大和長谷寺本堂(721年移築)の外周の石畳の材質ならびにサイズ、デザイン、柱・扉・礎石の形と質感を知恩院の経蔵(1621年移築)のそれらと比べてみてください。さしずめ、同一の工務店が同時代に工事を担当したという印象です。ご存知のように、517年に創建された倭国長谷寺では本堂と経蔵が近接して建っていたと米田氏が解明しておりますが、それを裏付ける証拠写真を見ていただきます。繰り返しになりますが、両者は共に三瀬村にあり、900年の時間差で移築されたのです。
本堂の西側です。礎石は移築の際、紛失した分を、あわてて作ったせいか、単純な円盤状です。
本堂の北側。工事用の鉄板が邪魔ですが・・・
知恩院の経蔵です。解体修理は原型を守って行われたと考えます。