学生の皆さんへ | Nagoya Double-Reed Ensemble

学生の皆さんへ


石田です。お久しぶりです。


 3月は門出の季節であり、それゆえ別れの季節でもあります。皆さんの中にはご自身が卒業、あるいはご兄妹が卒業される方もいるかと思います、本当におめでとうございます。人によっては、大好きな先輩や、可愛い後輩とお別れしなければならず、寂しい思いをした人もいるでしょう。

 それとははるかに個人的ですが、私も個人レッスンや学校レッスンで携わってきた生徒さんらと、もちろんお別れするときがあります。一番多いのはもちろん夏のコンクール前後で、コンクールを機に部活を引退する生徒さんとは、コンクール直前のレッスンが最後のことが多いです。「本番うまく吹けたかな」「目標にしてた成績が達成できたかな」と思うことはありますが、だからといってこちらからレッスンの切れた生徒さんに「どうだった?」と聞くことはありません。


 さて、学校によっては引退や切り替わりが3月のところもあるので、この時期、私の手から離れる生徒さんも少なくありません。私からは、今回が最後だなという生徒さんには、「これからも音楽を好きでいてね」以外は、特に言ったりすることはありません。なぜなら、これは私のほぼ最初の生徒さんが引退してレッスンを辞める時に、(私が)名残惜しくてその生徒にいろいろ話をして数十分引き留めたのですが、明らかにイヤそうな顔をしていたからです(笑)。誰だって、教える方は、最初の生徒(社会人で言うと部下の後輩とかですかね)は思い入れがあるものですが、こちらが思っているほど、等の本人達は気にしていない、というのに数年経ってから気づいたわけです。


 さてここからが本題。


 かように、卒業したりお別れしたりする生徒さんに相応しいはなむけの言葉を持ち合わせていない私ですが、普段から思っていることはあります、でも滅多に言いません。それは、求められてもいないのに普段から自分の信念ばかり言う人はつまらない人間だ、と私は思っているからです。

 ですが、せっかくの機会(単に今日が自分の誕生日だからいろいろ考えちゃった)なので、別に節目と言うわけではないですけど、「若い人に送る、自分のつまらない信念」を述べてみようと思います。


1.嘘をつかないこと。

 「嘘も方便」という言葉を知っていますよね?時と場合によっては、嘘を言ったほうが良い場合がある、というものです。これは実は誤りです。

 なぜなら、嘘は、本人は相手を騙せれていると思っていても、まず100パーセント、相手にバレています、それも言った瞬間に。相手が突っ込まないのは、あなたの嘘に気づいていないからではなく、「またコイツ言ってるよ」とがっかりしてるか、「嘘とも気づかない奴だと、オレは見くびられてるのか」と不信感が募るか、「こいつ今後もそうやって生きて行けると思ってるのか」と冷ややかな視線で見られているのか、のどれかです。嘘は方便ではありません。嘘は嘘、方便も嘘です。

 もし仮に、「嘘も方便」という結果があったとしたら、それは嘘をついた本人もまったく意図していなかった、思いがけない結果が出たときだけです。大人になってから嘘をつく習慣を直すのは本当に困難です。嘘をつき続けると、「嘘」と「方便」の区別がつかなくなるばかりか、嘘を正当化する癖がついてしまいます。これは対人関係で本当に信用をなくします。また、他の国では知りませんが、日本では「嘘をつくこと」「物を盗むこと」「働かないこと」の3つには大変厳しい社会です。どうか率直で誠実であってください。

 とはいえ、だからといって相手に対してどんな言い方も許されるというわけではありません。


2.良いことばかり言わないこと。

 「私はこれが好き」「私はこれが良いと思う」「こんな良いことがあった」という気持ちは大事です。それと同時に、「私はこれは嫌い」「私はこれは全然良いと思わない」「こんな嫌だと思うことがあった」というのも同じくらい重要です。ここで言わんとしていることは、ネガティブな感情を押し殺さない方が健康上よい、といった表面的なことではなく、「美意識が磨かれてくると、好きなものと同数くらい嫌いなものも出てくる」ということです。

 昔、企業や自己啓発セミナーなどで「良いことや、良い気持ちを皆の前で表明すると、それが皆に伝わり場が良い雰囲気になる、または目標を達成できる」といった、教育なのかなんなのか分からない教えが流行っていたことがあります。混乱しないでいただきたいのですが、「良いことを思ったり、実行したりすることは非常に大切」です。はき違えないで欲しいのは、それをわざわざ他人の前で言うことではない、ということです。良い行いはさりげなく、他人のだれもが気づかないくらいさらっと黙ってやるのが粋というものです。

 「良い考えをわざわざ人前で言う」ことの弊害について説明します。「コミットメントの圧力」という言葉があります。「人前で宣言したり、自分で決めたりしたことは、実際の価値よりも、言った本人がずっと重要に感じてしまい、正当化する」といった現象を指します。これは「人前で言ってしまった(あるいは自分で決めてしまった)がゆえに後戻りできない」、単なるプライドからです。

 ですが、この「コミットメントの圧力」は強力なので、皆の前で表明したとき、周囲にも同調圧力がかかります。これは本当に迷惑なことです。本当に建設的な意見を、ここぞという適した時に言うのは大切です。でも、「こんな良いことがありました」というのだけでは、本当の意味で人間は育ちません。日本では「言葉を唱えると、良い言葉なら良いことが起きる。逆に悪い言葉なら悪いことが起きてしまう」といった言霊(ことだま)信仰がいまだ根強く、「コミットメントの圧力」と「言霊信仰」が姿を変え形を変え新人教育やヒーリングに残っています。が、それは、人類が持つ非常に素晴らしい側面-美意識ーは育ちません。

 繰り返しますが、「美意識が磨かれてくると、好きなものと同数くらい、当然嫌いなものも出て」きます。だからといって、自分の偏った美意識で、一方的に押し通すのが良いわけではありません。これも誤って認識しないように。


3.安易に「みんなのため」と言わないこと。

 社会生活を送る上で、他人と恊働することは大切です。「情けは人のためならず(他人のためにしたことはそれだけでなく、めぐりめぐって自分のためになる)」ということわざが示す通り、他人のためにしたことは自分の助けとなって返ってきます。ですが、みなさんはまだ学生か、学生を卒業したばかりです。自分のために勉強や、スキルを磨かねばならないことが山ほどあります。どうか、しばらくは自分を高めることに一心不乱に費やしてください。

 人のために何かをしてあげることは極めて重要です。世の中にはごくまれに誰の助けも借りないでも、金銭的あるいは体力的に問題なく生きていける人がいますが、そんな人はごくごくわずかです。人は社会がなければ他の生き物に比べ大変弱い存在でしかないという、動物行動学のレポートを見なくてもそれは一目瞭然です。私が言いたいのは、しかし、そういうことではありません。

 自分の技能を高めたり考えを深めたりを後回しにして「みんなのために」ばかり考えている人はどうなるでしょうか?少し固い言葉で言い換えるならば、低い問題解決能力と浅薄な思考しかない状態で、社会を生き抜いて行こうとすると、どんなパターンになるでしょうか。もちろん常にと言うわけではありませんが、ややもすると、「人の顔色ばかりうかがう」人間になってしまいます。本来の目的である、他人との恊働や意思疎通は、いろいろな能力があって初めて成り立つものなのです。また、「皆のため」と言うことは、大義名分になりやすいので、意見が通りやすいです。反対もしにくいです。ですので、大人の社会では、自分の意見を押し通したい人がよく使う常套句である場合も多いです。

 もちろんそうでなく、本当に人のことを考えて言っているときもあります。それがどちらか見抜けるのは、いかに「深く、自分の言葉できちんと考えることができるか」です。ですから、そのためには勉強とスキルアップがまず最優先です。「みんなのために△△をします」ではなく、「自分はまず◎◎に費やします」という方が百倍大事です。みなさんはまだ学生なので実感が沸かないかもしれませんが、歳を重ねた時に、自分の苦手なところを見過ごしてきたことや、実力を積み上げれなかった報いが一気に迫ってきて、逃げも隠れも言い訳もできないことになってからでは、遅いのです。


4.長々とつまらないことを書きましたが、最後です。

どんなものでも良いので、本をたくさん読んでください。

そして、音楽が生涯の友としてください。そうすれば、たいていのことは乗り越えられます。

卒業、おめでとう。