だーいしです。久しぶりにマジメな話題で。
昨日、とある経緯から「トリスタンとイゾルデ」の演奏に急遽加わらせていただく機会がありました。
しかし不肖わたくし、ワーグナーの曲は「マイスタージンガー前奏曲」くらいしか知らなかったものですから、「なんすか?...鳥?」「トリスタン、知らないの?」「知りません」「あ、そう。ま、トリあえず聴いておいてちょうだい」「はい、じゃトリ急ぎ..」と機知に富んだやりとり(?か?)をしつつ、音源を聴くことに。どなたとの会話かは推して知るべし。
で、う~ん、知らんこんな曲、ヤベェ。
しかしリハーサルはすでに翌日だ。恥ずかしながらCDを聴いて譜面を追っても「いま、僕ちんどこ~?」と迷子になる。激ヤベェ。しかも指揮者はあの○守○○○氏らしい。繊細極まるppから圧倒的なfffまで、隅々までゆきとどいた演奏で表現しなければならないだろう。チキンだーいしは前日からウツ状態となり(笑)、食欲がちょっと落ちた。
ま、という感じで本番も激キンチョーしながら終える。当日、家を出る際、あまりの顔色の暗さに家族が「なんかあるのか」と心配したほどだ。だーいしは「ワーグナーの亡霊が...いってきます...」と言うのが精一杯だった。終わってからの開放感っていったらなかったっす。わたくしお酒飲めませんが、ビールジョッキで飲みたいくらいの気分(笑)
自分が勝手にチキンになって「音、出ますように~」「でも飛び出しませんように~」とか個人的に大変低レベルな願掛けをしながら吹いてたのですが、肝心の本番自体は本当に素晴らしかったです。ワーグナーの真骨頂である、無限に続く転調の妙、美しい係留音とその表出、数々のライトモチーフの工夫...。それが指揮者の仙人的なタクトの閃きによって、オーケストラが、深遠に、重層的に、かつ最大級の愛情をもって響きわたりました。お客様もたいへん満足されてたご様子でした。こんな素晴らしい本番はなかなか経験できなかったです。
で、帰宅してから、こんな不勉強では恥ずかしいしいかんがねと思い、いまさら遅いんですが、持ってる本でなにかヒントになる記述はないかと探す。あった。
ディーター・デ・ラ・モッテ著「大作曲家の和声」253p [ヴァーグナー:トリスタン和音]
ちゃんとあるのに読んでなかった~
さて、「トリスタン和音」とは楽劇《トリスタンとイゾルデ》冒頭に出てくる特徴的な和音で、「和声の危機」や「調性崩壊の発端」とよばれており、それは昔わたくしも音大の授業で習った記憶がありまっする。で、ウィッキー先生(Wikipediaのこと)には、「和声学でいう減五七の和音のこと」
(2小節目のファシレ♯ソ♯)
とあり、「ワーグナーは和音の機能よりも、音・響きを強調したといえる」とあるんですが、モッテ先生のご本を読むに、そんな単純な話ではなく、今まで言われてきただけでも大きく分けて5種類の解釈があり、その和音の機能については諸説紛糾しており、決着がついてないんだそうな。(モッテ氏はE.クルトの分析に一定の価値を置いているようにみえる)。
ともあれ、わたくし今さら読んだところで、何もエラそうなことは言えませんが、音大生のみなさまぜひ読んでおいだ方が良いですよ~(笑)。本来のドミナントがなぜか解決和音に聴こえてしまうアイデアを思いついたワーグナーは何を表現したかったのか。そもそも、ドミナントとはなにか、係留とは...といろいろ考えさせられます。わたくしこの本を読み返してみましたらヒンデミットを扱った「和声的勾配」という章は素晴らしく、かなり演奏のヒントになるところ多し、です。また、ディーター・デ・ラ・モッテは「大作曲家の対位法」という本も書いており、そちらはなんとペロティヌスからシェーンベルクまで(800年!)さまざまな作曲家が用いた、対位法(コントラプンクトゥス)のアイデアが載っており、こちらもなかなか楽しいです。
それはともかく
先日、同級生で、とある音楽関係の専門学校(?)の講師をしてる奴と話してた時のこと。
「教えるの、大変なんだよ~」
「ふ~ん、そうなんだ。どこが」
「だってさぁ、長調と短調の区別も出来ない奴とか、ゴロゴロいるんだぜ。18にもなって。」
「は!?」
「は!?じゃねぇよ。ドミソ、と、ドミ♭ソ、をジャ~ンと弾いて、『あとから弾いたほうが短調、マイナーコードだぜ。』と教えても『どっちも同じに聴こえるッス』って言うんだもん」
「ままままマジっすか」
「ままままマジっすよ。俺はどうやって教えれば良いんだ」
「う~ん、ま、短調のとき電流流すとかするしかないね」
「お前は、アホか。ま、それはおいといて、結局、ゲームばかりやってて、ゲーム音楽くらいなら自分も作れるかと甘い気持ちで入ってくるんだよ。ピアノはおろか、楽器は何も出来ない。スポーツの経験ない奴に、アメフトの攻撃パターンを作るなんて出来ると思うか?」
「ま、無理だね」
「だろ?ゲームが悪いとは言わん。でもゲーム音楽ったって実際作るのは難しい。ゲームのプログラミングがちょっとできたとして、ゲーム音楽がパソコンで簡単に作れるだろうと勘違いしてるんだよ」
「ま、電流流すしかないね」
「お前は、アホか。」
と誠におきのどくな会話をして、帰宅すると、姪(4歳になった)が遊びに来てた。姪とは、以前ピアノの和音を『色』で覚える塾(?)にいってた、あの姪だ。母である妹が
「はい~、おじちゃんのきたない部屋で音取りやるよ~」と、わたしのピアノを開ける。
♪ジャ~ン
「ドミソ!」
「はい正解。次」
♪ジャ~ン
「ファラド!」
「はいこれも正解~」
「ちょっとー、色で覚えるの、やめたの?」
「それは3歳まで、もう今はドレミで覚えさせるらしい。色は過去の話だ。」
「すごいね」
「白鍵なら、たいていわかるよ、この子。すごいでしょ」
と胸を張ってたので、だーいしおじちゃんは「ゆうかちゃん、コレ、分かる?」と♪ジャ~ンと、レファラドミソシ(D13)を弾く。
「じぇんじぇん、わっかんない!!!」
「エラい!君は正解だ!!ていうか、あゆこお母さん、白鍵なら分かるっていったじゃない!嘘つき!」
「うそつき!」
「そんなフクザツな白鍵、分かるわけないじゃない!!アホかあんたは!ゆうかもマネしなくていいの!!」
一日に3回「アホか」と言われ、本日しうりょう。みなさんぜひ《トリスタンとイゾルデ》聴いてみてください。いい曲ですわよ。