坂本龍一氏は環境問題の第一人者なのか?

 

坂本龍一氏の作品は評価するが、だからといって、坂本龍一という人物をそのまま丸ごと高評価したりはしない。

 

作品と人物は別物だ。

 

作品は作り物ゆえにいくらでも良いように繕えるものだが、人物は完璧とは限らない。

 

福島第一原子力発電所の事故を地震と津波が原因であるとして原子力発電に反対し、森林伐採に繋がっている太陽光発電などの再生可能エネルギー推進を訴えていた坂本龍一氏のその考えは筋の通らぬ不完全さを感じていた。

 

福島第一原発の事故が地震と津波が原因ならば、なぜ、10kmしか離れておらず第一原発と同じように太平洋に面し、第一原発と同様の地震の揺れと津波を受けた第二原発が事故に至らなかったのか?を説明できなければ筋が通らない。

 

第二原発は外部電源喪失しても非常用発電機による電源供給ができたからだ。

 

第一原発は非常用発電機が地下にありその危険性を指摘されていたが、東京電力が即対応せず放置しているうちに東日本大震災により津波を被り事故に至った。

 

この違いを無視し、危険性だけを強調しての原発反対や、森林破壊などの大問題を考慮せず、安全性や環境保護を強調しての再生可能エネルギー推進を訴えていた坂本龍一氏の考え、思考に対しては高評価できない。

 

 

 

で、その坂本龍一氏を引き合いに蓮舫氏が神宮外苑再開発を批判

 

 

音楽関係の第一人者なのは間違いないが、環境問題や都市再開発の第一人者ではない坂本龍一氏を利用してまで神宮外苑再開発を批判し対立候補者を貶めたいのだろうが、

 

至極簡単な質問に答えて欲しい!

 

質問1.「人間が人工的に造り100年経った森」と「自然が数百年育んでできた森」どちらがより大切?

 

答え:「自然が数百年育んでできた森」でしょうよ!

 

質問2.「人間が人工的に造り100年経った森」は人間が何年かけてつくることができる?

 

答え:100年

 

質問3.「自然が数百年育んでできた森」は人間が何年かけてつくることができる?そもそも人間につくることができそう?

 

答え:人間に同じ森をつくることはできない

 

人間が100年かけてつくったのなら、100年かけてまたつくればよかろう!

 

自然が数百年かけて育んだ森は人間が100年かけても再生は不可能だろう。できたとしてもそれは人工的なものに過ぎない。

 

 

 

なぜ、人間が人工的に造った森の1000本程の樹木を何が何でも守ろうとするのに、太陽光発電により伐採される自然が数百年育んできた森の数万本、日本全国なら数百万本?数千万本?の樹木には平気でいられるの?

 

この筋が通っていない部分に気持ち悪さと疑いを感じるのですよ!

 

その時の都合に合わせた上っ面だけの主張なのでは?

 

本気で環境問題を考えてる?

 

 

 

私は35年ほど前に酸性雨、オゾン層破壊、温暖化から環境問題について学び始め今に至っている。

 

坂本龍一氏は東日本大震災あたりがきっかけでは?

 

蓮舫氏なんぞはどれだけの知識があるのか不明だ。

 

環境問題に関する知識、情報、読んだ本の冊数については両者よりも上だろう。

 

何かを守ろうとすると、別の何かが犠牲になる、それでは環境問題の解決には至らず、新たな環境問題が発生するだけになる。

 

よって、「バランスが大切なのだ」と、35年間関心を持ち続け、知識、情報を得続けてきた結果、そのような考えに至っている。

 

極端に偏ってはダメ!

 

 

 

人間が人工的に造った公園の樹木を大切にするのは結構だが、ならば、なぜ、自然が数百年育んできた森林には無関心でいられるのか?

 

人間が人工的に造った公園の樹木を大切にするのは結構だが、その結果、耐震性に問題のある建造物や老木となり倒木や枝が落ちる危険性のある樹木を放置することになり、首都直下地震などの際の事故の危険性が高まることには無関心でいられるのか?

 

この偏りと筋が通っていない部分が気持ち悪いほど多くあることから、蓮舫氏を信頼することができない。

 

都民の安全性確保と明治神宮とその内苑の100年かけて育ててきた杜(こちらが本当の100年の森)を維持し続けるためにも、老朽化し危険性のある神宮外苑は再開発し、再び集客により収益を得て明治神宮とその内苑の維持管理が継続できるようにすべきだと考える!

 

 

 

人間が人工的に造った公園の樹木がそれほど大切なら、自然が数百年かけて育んできた山の樹木はそれ以上に大切にしましょうや!

 

今すぐ、再エネ賦課金なんぞ廃止し、太陽光発電をやるには森林伐採ゼロで行うこと!としましょうよ!

 

なぜそっちは無視するの?

 

意味がわからない!

 

筋が通らない!

 

 

 

あ、ちなみに「優れた作品=全てに優れた人物」とか、「優れた作品=優れた人物」とは限らない別の例として

 

ブログ記事 「芥川賞受賞作家 平野啓一郎氏、李琴峰氏から『優れた作品=優れた人物』とは限らないことがわかる」

 

 

作品と作者の人間性は「=」ではないことがよーくわかる!

 

その作品が好きな人にとっては「=」であって欲しいものだが、客観的に見るとそうではない人がいるのは事実だ。

 

人の人権を傷つけておいて、「人権を守れ!」などと主張するなど、筋の通っていない人は結構いる!

 

やはり、本質を見失わず筋を通すことが大切なのだなと思う。