東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長の「女性蔑視ともとれる発言」に対する批判。

 

※「女性蔑視ともとれる」という表現が重要。森喜朗氏が悪意を持って女性を見下しているかはわからないということ。

 

私個人としては、悪意を持っていたなら批判、非難されるのは当然だが、悪意が無く、いまいち理解が足りていない状態なら、理解を促すとか、諭すというやり方が先にあるべきだと考えている。

 

それが人間的だと思う。

 

上っ面だけを見て反射的に批判、非難するというのは、どちらかと言うと動物的だろう。

 

心を読み取る、本質を見極める、それを行わずに即批判、非難というのは、頭を使って考えていないことになる。

 

対象人物のことをよーく考えるだけでなく、自身はどうなのかまでもよーく考えてから、相手に理解を促すのか、相手を諭すのか、それとも、それを飛び越えて批判するのか、さらに度を超え、確証もなく相手がそうであると決めつけて誹謗中傷するのかを判断するのが人間だ。

 

まぁ、まともな人間なら、何の確証もないのに勝手に決めつけて誹謗中傷をするという蛮行に至ることはなく、この蛮行に至る人間は悪人と言っても過言ではない。

 

 

 

さて、実例として、この人の場合はどうなのでしょう?

YAHOO!ニュース 「坂上忍の着ボイス『ブスは嫌い!』配信停止 フジテレビのコンテンツストア」

 

 

テレビという影響力の大きいメディアで声高に森喜朗氏を批判していたようだが、坂上忍氏の過去の発言を知っている人からすれば、「何を偉そうに、お前はどうなんだ!」という思いを抱いたのだろう。

 

「ブスは嫌い!」、「女は顔だ!」という坂上氏の発言は「私は容姿で蔑視している」と自分で宣言したようなもの。

 

森喜朗氏の発言は、「女性蔑視ともとれる発言」だが、坂上氏の過去の発言は、「私は容姿で蔑視しています」と言っているのだ。

 

対象人物のことをよーく考えるだけでなく、自身はどうなのかまでもよーく考えてから、相手に理解を促すのか、諭すのか、それとも、それを飛び越えて批判するのかを判断した方がよかったのでは?

 

偉そうに批判するのではなく、「自分も過去にはそんなダメな考え方を持っていました、森さんもそのことを理解して欲しい。」程度が妥当だったのでは?

 

相手のことばかりでなく、自身のことも考え、自身の身の丈に合った批判の仕方にするのが良いのではないだろうか?

 

自身の身の丈に合わない批判を声高にしている人が多いから、世の中雑音だらけで落ち着かず、常にギシギシした感じなのではなかろうか?

 

 

 

さらにこの人の場合は?

 

産経新聞 「蓮舫氏『言葉伝わらない』 菅首相『失礼ではないか』 コロナで応酬」

 

 

私個人としては、蓮舫議員の物言いから相手に対する敬意はあまり感じられず、まるで、容疑者の取り調べのように聞こえてしまい、蓮舫議員の言葉は私には伝わってこない。

 

取り調べのように感じるかは別として、蓮舫議員の言葉が国民の多くに伝わっていれば、政党支持率が5%前後にとどまることはないのでは?

 

自身はどうなのかまでもよーく考えてから、相手に理解を促すのか、諭すのか、それとも、それを飛び越えて批判するのか、詰問するのかを判断し、

 

自身が完璧であるかのように偉そうに詰問するのではなく、「自分はついつい語気が強くなり、相手に威圧感も伝わってしまうのですが、それとは逆に、菅首相は人柄も語気も穏やかなため、国民に本意が伝わっていないのではないでしょうか?」とでも質問すれば良かったのでは?

 

相手に変わってもらいたいなら、相手に反発されない言い方をした方がよかろう。

 

自身のことを理解するのはもちろん、相手のことも理解し、互いに敬意を持った状態で話し合わなければ良い結果など生まれるわけがない。

 

自身のことを棚に上げ、身の丈に合わない批判を声高にしているから、常にギシギシした感じになるのではなかろうか?

 

 

 

さらにもう一つ。

読売新聞 「ワクチン接種の75%はわずか10か国で実施…国連事務総長『不公平だ』」

 

 

おかしいですねぇ・・・

 

アメリカのトランプ前大統領には、「自国中心主義だ!」などと批判していた国々が、途上国など他国のことを考えずに自国のワクチン接種ばかりに一生懸命になっている。

 

トランプ前大統領の自国中心主義は厳しく批判し、ワクチンに関する自国中心主義には見ぬ振りをして、「自国中心主義」という言葉すら発しなくなった。

 

人間なんてこんなもんです。

 

自分の「自国中心主義」は棚に上げて、他国の「自国中心主義」には厳しく批判する。

 

自分のことを棚に上げ、自分には甘くし、他人に対して厳しく批判する人が多い世の中なので、当然、そういった人たちが集まってできている国家もそうなる。

 

上っ面では綺麗ごとを言っていても中身は汚いという偽善者の集まりというのが現実。

 

 

 

ワクチンに関して、特に日本は1億人もの人口がありながらも感染者を抑えていて、水道もあり、手洗い用洗剤、消毒液、マスクなど、感染を防ぐ手段にも困っていない状態なので、ワクチン接種は医療従事者、高齢者、高齢者施設従事者、持病のある人へ一時的に実施し、日本国民全員への接種は急がず、先に途上国などワクチンが手に入らない国の医療従事者への接種支援をした方が良いのでは?

 

それとも、水道も整備され手洗い用洗剤もあり、いつでも手が洗え、消毒液もあり、マスクも2枚重ねにしようかなどと言えるほど余裕がありながらも、他の国のことなど考えずに日本国民全員のワクチン接種を最優先しますか?

 

それは「自国中心主義」にはならず例外ですか?

 

何だかよくわからない・・・

 

 

 

イスラエルではワクチン接種し終えても0.1%が感染しているのに、ワクチン接種せずとも0.001%の感染に抑えている日本で他の国を差し置いて国民全員が急いで接種する必要があるのか??

 

という偽善をなぜか偽善者が主張しない。

 

【参考】ブログ記事「ワクチン接種で0.104%が感染 日本はワクチンなしで0.00105%が感染 どう考えればいい?」

 

自分にとって利益が無いこと、不利益なことにはその偽善ぶりを発揮しようとしない。

 

だからこそ、偽善者なのだろう。

 

偽善者は自分に関係のないことに対してはストレス発散のため、自分の利益になることに対しては自分の利益を守るために声高に主張や批判をするのだ。結局は自分のために、そして、偉そうに、自分がさも善人や聖人かのように。

 

「核なき世界」などと上っ面だけの演説をしてノーベル平和賞を受賞し、「自国中心主義」だのとトランプ前大統領を批判していたオバマ元大統領もすっかり静かになっちゃって。

 

正義はどこへ?

 

人間なんてこんなもんだ。