大阪府の新型コロナウイルス対策本部専門家会議で、専門家の一人から、外出自粛や営業自粛と収束には相関が少ないという考えが示された。

 

Lmaga.jp 「コロナ収束に自粛は関係なかった、大阪の専門家会議で明言」

 

 

吉村洋文知事による「ピークアウトに外出や営業自粛の効果はあったのか?」との質問には、「データを見る限りは、相関が少ない。欧米などは、何か政策の効果が見えた場合にK値の傾きに変化が出ている。大阪の推移を見る限り、それとは関係なく収束したというと考える方が自然」と回答した。

 

 

外出自粛や営業自粛していた人たちから、「何だよ~意味無いのかよ!」と言われそうな内容だが、「まったく関係ない」とは言っていない。

 

 

 

ウイルス感染を防ぐのは、交通事故を防ぐのと同じようなこと。

 

交通事故を防ぐために、道路交通法を改正したり、歩道を整備したり、信号機や横断歩道を設置したり、衝突軽減ブレーキを装備するなど、様々な対策を講じて交通事故発生ゼロを目指してはいるが、現実的にはゼロは不可能に近く、実際は事故発生確率をより下げるというのが現状行われている対策だ。

 

ウイルス感染を防ぐのも、手を洗ったり、マスクを着用したり、3密を避けたり、リモートワークをしたり、ワクチンを開発するなど、様々な対策を講じてウイルス感染ゼロを目指してはいるが、現実的にはゼロは不可能に近く、実際はウイルス感染の機会を減らし、感染確率をより下げるというのが現状行われている対策だ。

 

そのウイルス感染と交通事故を防ぐうえで最も効果的なのが、外出自粛、外出禁止だ。

 

外出せずに家に居れば、交通事故に遭う機会が無いので交通事故をゼロにできるだろう。

 

外出せずに家に居れば、ウイルス感染している人に会う機会が無いのでウイルス感染をゼロにできるだろう。

 

なので、厳密に言えば、外出自粛や営業自粛は収束に関係ないわけではない。

 

感染する機会を減らすということは、感染確率を下げるということなので、感染拡大収束にまったく無関係ではないのだ。

 

大阪の専門家会議で出た「外出自粛や営業自粛と収束には相関が少ない」という考えは、データ上そう言えるので、そこまでせずとも収束できた可能性があるというように受け取ればよいだろう。

 

 

 

そうであれば、私もその通りだと思う。

 

3月25日のブログ

「ウイルス検査による感染者隔離では遅い、皆が既に感染者と仮定して行動するという先手が効果的」

 

 

 

でも書いているが、外出自粛せずとも、「外出自粛」と同等の状態であればよいのではないか?ということ。

 

<ここから3月25日のブログ内容>

 

どういう意味かというと、「外出禁止」は他者との接触を避け、他者への感染、他者からの感染を防ぎ、爆発的感染拡大を止めるというものだ。

 

つまり、「他者への感染」と「他者からの感染」さえ防げば、「外出禁止」状態と同じような効果を得つつ、ある程度の行動が可能になるのではないか?

 

この、「他者への感染」、「他者からの感染」を防ぐには、やはり、マスクが重要になる。

 

外出時にすべての人がマスクを着用することで、感染に気付いていない人でも「他者への感染」を防ぐことができる。

 

マスクをしていることで、実際には人と向かい合っていても、マスクによる最低限の「物理的な隔たり」を維持でき、飛沫感染の確率をゼロに近付けられる。

 

<ここまで3月25日のブログ内容>

 

マスクを着用することで、人と接触はしていてもお互いに飛沫を防いでいれば、接触していない「外出自粛」している状態と変わりないということだ。

 

なので、「外出自粛」までせずとも、マスク着用などで飛沫の拡散を徹底的に防いでいれば、外出しても、買い物に出かけても、映画館に行っても、ライブに行っても、旅行に行っても、感染拡大を抑えられた可能性はある。

 

ただし、マスクを外さなければならない食事と、外出時のトイレだけは、ウイルス感染の確率を下げられず高めてしまう。

 

同様に、マスクを外してカラオケやスポーツジムでのトレーニングやポップコーンを食べながらの映画鑑賞も、ウイルス感染の危険性が圧倒的に高まってしまう。

 

それ以外であれば、外出自粛も営業自粛も必要はなかっただろう。

 

今更だけど、それを私は3月25日の時点で主張していたのだが・・・

 

専門家でもなければ、権威も権力もないので、何の影響も与えられないという現実。

 

 

 

当初は、世界的に「マスクなんて意味ない」、日本国内でも「マスクに防ぐ効果は無い」とか、「布製マスクではウイルスが通過してしまう」などと、間違ってはいないが、捉え方を間違えている意見が多かった。

 

最近になりようやく、マスク着用で飛沫の拡散を防ぐことで感染拡大を抑えられるという考え方が主流になってきた。

 

WHOも「検査、検査、検査」という主張は取り下げずとも、マスクの重要性を見直し、マスク着用を推奨するようになった。

 

 

 

これまでを俯瞰して見ると。

 

不安感から物事を必要以上に厳密に、詳細に、難しく考え過ぎていたのではなかろうか?

 

不安感によって必要以上に完璧、100%を求めてしまう。

 

ウイルスは単体で移動などせず、人の唾などの飛沫に付着して移動、拡散するのだから、飛沫さえ防げば済むことなのに、「ウイルスは布を通り抜けるのでダメ!」なんて必要以上に厳密に詳細に考え過ぎたことで、使い捨てのサージカルマスクばかりを買い求め、マスク不足騒ぎになり、さらに不安感を強め、結局、無駄に遠回りをして、今や様々なメーカーが布製マスクを製造している。

 

無駄に厳密に詳細に難しく考える必要などあったのだろうか?

 

 

 

ウイルス感染を簡単に言えば、ウイルスが体内に入った状態だ。

 

ウイルスを体内に入れさえしなければウイルス感染は防げるということだ。

 

ウイルスは目に見えず、どこで感染するか分からないから怖い?

 

いやいや、常に自身の手に付着していると思えばいいだけのこと。

 

その手を洗わずに目をこすったり、鼻をほじったり、歯に詰まったものを取ろうものなら、ウイルスは体内に入ってしまう。

 

言い換えれば、手にウイルスが付着していても、目、鼻、口などの体内に通じる部分を触らなければ、ウイルスは体内に侵入せず、感染はしない。

 

何も電子顕微鏡レベルで考えなくても済む話だ。

 

少なくとも、医師や科学者でもない一般市民が、「ウイルスは布の繊維の隙間を通り抜ける」なんてことまで考える必要などない。

 

すべてを理解しているならいいが、ほんの一部の詳しい知識だけ得たところで、無駄に不安になったり、本質を見失ったりするだけ。

 

「要はこういうことでしょ!」という部分だけ徹底していればいいのですよ。

 

なんなら、マスクだって必須ではない。

 

口を閉じていれば飛沫は拡散しないのだから。

 

ただ、突然くしゃみをしたり咳き込んだりすることがあるでしょ?

 

だから、マスクはしておきましょう!ということ。

 

「要は、飛沫を飛ばさなければいい!」、もはやウイルスの大きさとか、満員電車とか気にしたところで意味が無い。

 

だって、満員電車で感染するなら、今頃数百万人が感染し、数十万人が入院し、数万人が死亡していることでしょうよ。

 

 

 

そもそも、毎年40万件以上の交通事故が発生し4000人ほどが亡くなっているのに、外出自粛や営業自粛などはしていない。

 

道路交通法や運転免許制や道路整備や安全装置を開発しながら、皆、その危険性と、その危険性をゼロにできないことを理解したうえで、事故に遭わぬよう自身で気を付けながら生活しているわけだ。

 

ウイルス感染についても同様に考えなければ先へは進めない。

 

マスク着用や手洗いやPCR検査体制整備やワクチン開発をしながら、皆、その危険性と、その危険性をゼロにできないことを理解したうえで、ウイルス感染しないよう自身で気を付けながら生活せざるを得ないだろう。

 

小池東京都知事の「自衛」という発言に噛みついている人もいるが、交通事故やウイルス感染に対して行政は何もしていないわけではない、行政による対策を実施しつつも、個人で交通事故やウイルス感染から身を守る「自衛」をするのは当然のことだろう。

 

 

 

大阪府の専門家会議で、自衛さえしていれば外出自粛や営業自粛までせずとも感染拡大は抑えらえたとのことなのだから、小池東京都知事が言った「自粛」から「自衛」への移行も間違いではないということだろう。

 

 

 

ま、とにかく、電子顕微鏡レベルで物事を考えるばかりでなく、時には俯瞰した状態で考えることも必要でしょう。

 

あまり細かい部分にまで拘ったり、噛みついていては、不安感やストレスが増すだけで、自身にとっても何ら良い効果は無いですよ!