新型コロナウイルスの感染拡大を収束させる最も効果的な手段は、「外出禁止」による他者との接触を避けることなのだろう。
中国がどれほど収束したのか定かではないし、情報も信頼できないが、少なくとも以前のような混乱状態ではないのは確かだろう。
だとして、中国がそのような状態に至った要因は何か?
やはり、「外出時のマスク着用義務化」からの「外出禁止」だろう。
ウイルス検査を広範囲に実施して感染者をより分けて隔離という方法では間に合わなかったため、「外出禁止」で止めるしかなかったというのが実情なのではなかろうか?
ウイルス検査をしてから隔離していては、ウイルス検査前の段階で他者への感染を止めることができない。
そこで、「外出禁止」により、ウイルス検査前の段階で他者への感染拡大を止めたということだろう。
中国の対応からも、ウイルス検査で感染拡大を止めるのが困難だとわかる。
では、今、欧米諸国でも実施し始めている「外出禁止」を日本でも今すぐ実施すべきか?
現時点で爆発的な感染拡大が発生しているなら今すぐに実施すべきと主張できるが、爆発的な感染拡大を「予防」するために実施すべきとは言えない。
ウイルス検査で感染者をより分け隔離するよりも感染拡大を止める効果が大きいのはわかるが、社会の経済、個人の経済に対する副作用も大きいからだ。
しかし、「外出禁止」に近い状態を疑似的に作り出すことは可能ではなかろうか?
どういう意味かというと、「外出禁止」は他者との接触を避け、他者への感染、他者からの感染を防ぎ、爆発的感染拡大を止めるというものだ。
つまり、「他者への感染」と「他者からの感染」さえ防げば、「外出禁止」状態と同じような効果を得つつ、ある程度の行動が可能になるのではないか?
この、「他者への感染」、「他者からの感染」を防ぐには、やはり、マスクが重要になる。
外出時にすべての人がマスクを着用することで、感染に気付いていない人でも「他者への感染」を防ぐことができる。
マスクをしていることで、実際には人と向かい合っていても、マスクによる最低限の「物理的な隔たり」を維持でき、飛沫感染の確率をゼロに近付けられる。
また、日本人の文化にはないが、挨拶時のハグや握手をしないよう徹底すれば、人との「直接的な接触」はほぼ無い状態を維持でき、接触感染の確率もゼロに近付けられる。
ただし、他者が触れた部分や物に触れてしまうという「間接的な接触」やお釣りの手渡しのような一部の「直接的な接触」は避けられない。
この部分に対しては、手洗いによって、「間接的な接触」、一部の「直接的な接触」を無かったことにすることは可能だ。
当然、手を洗うまでは自身の顔を触れてはならない。
既に「咳、くしゃみ、発熱のある人はマスク着用したとしても外出禁止」や、これまでに懸念されている換気の悪い密室への出入り禁止などの禁止事項を付けたうえで、これらを徹底すれば、「外出禁止」に近い効果を得つつ、行動の制限を最小限に抑えられるのではなかろうか?
実は、日本が既にこのような状態であったため、欧米諸国のような爆発的な感染拡大が発生しなかったのではないかと思うが、マスク不足によりこの状態を維持できなくなっていることが問題だ。
何とかマスクの供給と外出時のマスク着用徹底で、疑似的な「外出禁止」状態を維持し、本格的な「外出禁止」をせずに収束させてほしい。
「外出禁止」、「首都封鎖」などの言葉の上っ面だけにとらわれることなく、常に事の本質を見極めつつ物事を考える必要がある。
「外出禁止」も「首都封鎖」も、要は、「他者への感染」、「他者からの感染」を止めるというのが事の本質だ。
ならば、別の方法で「他者への感染」、「他者からの感染」を止めれば、「外出禁止」や「首都封鎖」でなくてもよいはず。
言葉に対し過剰反応したり、批判したりせず、事の本質に対しどうすべきかを冷静に考えるべきだ。
物理的な隔離で行動を制限するのではなく、疑似的な隔離状態で行動の制限を最小限にする方法だってありだと思う。
もちろん、物理的な隔離という「外出禁止」の方が確実性は高いだろう。
どちらを取るかは個人、国民の判断だ。
何度もブログに書いているが、ウイルス検査を受けさせてから感染者をより分けていては後手後手だ!甘っちょろい!
ウイルス検査を受ける前の段階から「他者への感染」、「他者からの感染」を防ぐという先手の手段によって感染拡大を抑えるべきだ。
そのためのマスク、消毒液の用意、国民への意識付けを政府とマスコミが連携して行うべきだ。
どちらにしても、爆発的感染拡大となれば、ウイルス検査なんて追いつかず、「外出禁止」にするしかないのだから。
ウイルス検査に拘らず、ウイルス検査のさらに先手を打つべし!