ぶっしー。のつぶやき。

ぶっしー。のつぶやき。

書くことなんて、な~~~にもありゃしません。

気が向いたら、つぶやきます。。。

学生のある日、私はあることに気が付く。

 

友人の一言で、気が付いた。

 

「おまえさぁ、昨日、機嫌悪かったけど、どうした?何かあったか?ってか、たまにあるよな、機嫌悪い時。彼女、困ってたぞ?」

 

はてな?が出てきた。

 

(昨日、機嫌が悪かった?俺が?)

そう考えると、そうだった様な気がする。

少しずつ、その事実が事実となってくる。

 

こういうことがよくあったのだ。

でも、ある時、同じように少しずつ・・・のはずが、違和感がある。

日付が、どうにも一致しない。

 

最初は、思い違いとかちょっとした混乱かなという程度で処理していこうとしたが、違和感がその時から生まれた。

 

その時から気にかけるようになり、それからしばらくした時、衝撃を受けた。

 

テストが終わっていたのだ

来週かと思っていた、大学のテストが終わっていた。

 

大学の日常なんて、大した変化はない。昨日と同じことが繰り返されていても不思議ではない。

遅めに学校に行き、講義を受け、部室で暇をつぶし、たばこを吸う。

終わればバイトに行き、バイトがなければ酒を飲み、寝る。

 

当時の学生なんてそんなもんで。

 

でも、その何でもない日常が私にとっては、どうでもよい日常が私にとっては良かったと思っていた。

嫌な記憶を思い出さなくてよい日常を作れていると思っていたから。

 

でも、その友人の一言から、違う事実を知ることとなった。

 

自分が自分でない。

 

そういうことをたまに聞く。

ドラマとかアニメと漫画とか。

多くの場合は、現実ではないところでそういうことを聞く。

 

24人のビリーミリガンを見たとき、たいていの人は「こんなことがあるわけがない」と思ったのが最初の印象ではないだろうか?

でも、僕の場合は、

「あるよね、そういうこと。」

という風に思った。

 

でも、24人はさすがに驚きだけど。

 

端的にお話しします。

学生の時の記憶がほぼないんです。

 

私は、3年前、意を決して、精神科にかかった。

30年前というと、精神科にかかったら

「あいつは異常者だ。近づくなよ。」

とか

「家族もろくでもないかもしれないから、気をつけろよ。」

とか

 

まぁ、言葉の正確さはさておき、『精神科にかかっている』ということが悪い方にとられる時代だった。

 

当時、まさにその時に、精神科の・・・プロの力をかりていれば、こうはなっていなかったのかもしれない。

でも、そう考えても、時は戻らない。

 

某芸能の会社の性犯罪が表に出て、大変なことになったが、それに似ている。

当時、その当時に「私、性犯罪にあっています。」なんて、言えたわけがない。

今でも、とんでもない勇気と助けとがあったに違いない。

 

でも、それでも、被害者たちは、告発した後も、苦しい思いをするし、そのすべての人が救われるわけでもない。

 

中には、「やっぱり、言わなければよかった。」と思う人が必ずいる。

 

私の場合、性犯罪ではないが、ある事件の被害者に当たる。

 

ここの話での結論を先にいうと、「今更、精神科にかからなければよかった。。。」と思っている。

 

30年間、頭の中だけでなく、実際に3D映像状態で、24時間365日映像として目の前に映し出されているその光景を、診断を受けるためには、一から全部カウンセラーに話さなければならなかった。

 

カウンセラーだけでなく、医者にも同じ話を違うタイミングで話さなければならない。

 

また、医者が異動になると、新しい医者にまた話す。

 

私の場合、合計で7人の人に30年間打ち明けずに、表に出すのが怖くて出せなかったものを、話す羽目になったわけだ。

 

苦しかった。

これだけ、webなどをはじめ情報を得ることができる世の中で、精神科の人たちの治療の方法や経過、考え方や、何なら論文を読むこともできる。

当事者である私からすると、精神科の人たちの論文も理解できるようになっているのだ。

30年だからね。

少しずつでも知識は増えるよ。

 

なんなら、若いカウンセラーの人より研究してる状態だ。

 

でも、医者やカウンセラーは、マニュアルに沿った言語を使い、当たり前のように私たちの心の中に入ってくる。

 

仮に同じ境遇だったとしても、精神科の医者やカウンセラーになった段階で、こちらの人間から、そちらの人間に変わる。

 

こちらのことは分からなくなるのだ。

 

私と同じ境遇の人には、結構会っている。

意外といる。

 

必死で生きているんだ。

 

そういう人の周りには必ず、お節介さんがいる。

説き伏せようと、自分の知識を押し付けようとする。経験とかではなく知識。

 

そんなところに、私が居合わせる時、特別なことはしない。

何なら、何も知らないくらいにして話したりする。

 

つまり、『普通』にするわけだ。

 

「受容」「傾聴」「共感」 

みたいなものは、時として、悪となるんだよ。

 

私は、それに一番苦しめられた。

 

今日はここまでにしよう。

もう、30年ほどになる。

 

いまだに解決しない。

歳をとるだけで、何も解決しない。

 

人に頼っても、自分で頑張っても、何もしなくても、時間が過ぎても、解決されない。

 

このまま、死ぬまでこうなのだろうか。。。

 

なので、ブログに書いてみる。

誰かに見てもらうために書くわけではない。

 

もしかしたら、これで解決に向かうかもしれないし、やってみることにしただけだ。

 

なので、文脈も突然変わるかもしれないし、特に時間軸なんて、行ったり来たりの書き方になると思うし。。。

 

まず、この歳になってといっても、私の歳がわからないか。

46歳になる。

 

この歳になってやっぱり思う。

「人というのは、自分勝手だ」

と。

 

当たり前だ。

人は人のことなんて本来どうでもいいのだ。

目の前で転ぼうが、一瞬気にするだけで、それだけの人がほとんど。

 

事が大きくなると、偉そうに講釈を垂れるが、結局のところ、どこかで聞いた話をさも自分が発信しているようにするわけだ。

まさに、私はそれにより、さらに深くえぐられることとなっていった。

 

その時は、

「この大人の人は、私のために真剣に話してくれている、考えてくれているんだ!」

と思ったものだが、時間が経ち自分も大人になりいろいろと知ってくると、

「あれ?あの人の話って、一般論だったのか・・・。」

とショックを受けた。

 

と同時に

「あ。あの人は本当のこと、本質はわかってなかったんだ!」

とわかるようになる。

 

人というのは、本当に勝手な生き物なのだ。

 

初回の今日は、ここまでにしよう。

 

こんなに近いのに、何で仲良くできないのかぁ?

悲しいよね。




Android携帯からの投稿



浜頓別のクッチャロ湖です。

ラムサール条約の場所だよねニコニコ

ここには、コハクチョウ、オナガガモ、マガモ達がいっぱいですべーっだ!

Android携帯からの投稿
昨日は、長年行きたかった、釧路湿原に行ってきました。


そんなに時間を掛けられないのと、冬季は入れない場所もあるので、とりあえず、鶴居伊東タンチョウサンクチュアリに行ってきました。




さすがに時季が過ぎているのでタンチョウたちも25羽と少な目でしたが、長年の夢でしたタンチョウたちを目の前に、またしても時間が止まってしまいました・・・。



なんとも美しい。



写真を撮ったのですが、今日入ったネットカフェは、自前のPCをランに接続できなかったので、残念ですがまたの機会ということで。




しかし、どうして、ああも美しいのだろう。




・・・・・・あんなになで肩なのに。。。。





ちっぽけな自分に腹が立ってきましたプンプン



ということで、意を決して明日、いよいよ、ウトナイ湖サンクチュアリに行ってきます。



でも、野鳥の会の施設のウトナイ湖サンクチュアリは土日しか開いてないらしのよね。



だけども、お隣の施設の鳥獣センターはやってるからそっちを堪能してきます。



野鳥の会の施設はしまっていても、ウトナイ湖はしまっている分けないからさ!!



湖の鳥たちをじっくり見てきます。




そうそう。
いま、ネットカフェにいるわけですが、いろいろ、調べたのよ。

なんせ、今までネットのできない環境に住んでいたわけですから、状況の変化に驚きです。




自然系の求人が結構あるじゃないですか!!!!



ということで、明日、根こそぎ聞いてみて、無理やりにでも応募いたします。




4月までまだ間に合います。



こんなときは、自然系の仕事の求人の遅さに感謝してしまう、MAYUちんなのでしたにひひ
さすがは、北海道です。

会いたかった子たちにたくさん会えています!!


中学生のころから会いたかった、クマゲラに会えたのは、なんとも言えない気持ちになりました。
言葉にならないとよく言いますが、言葉どころか、自分がその場にいるのかどうかすら分からなくなってしまい、間違えてドアがないところにいたのに、なぜかドアを開ける素振りをしていました。。。ガーン


いや、なんでそんな動きをしたのかすら分からないので、あまり突っ込まないでいただきたい・・・。


残念ながらその時はカメラを持っていませんでしたので、記録には残せませんでしたが。。。

まずは、この子です。
$MAYUのつぶやき。

オオワシ君ですにひひ

かっこいいでしょ!!


そして、この子です。
MAYUのつぶやき。

オジロワシですね。
この子も、僕のことを警戒しています。
この後、すぐに飛び去ってしまいました。

にしても、さすがは北海道。


何を見ても飽きません。
明日は、ウトナイ湖サンクチュアリに行ってきます。

応募している就職口の返事がなければ、明日明後日とウトナイ湖を満喫したいと思います。


さて、明日はどんな子たちに会えるでしょうかべーっだ!
小学4年生が通説をひっくり返す!?
千葉に住む小学4年生の吉岡諒人(りょうと)君(9)が夏休みの自由研究で、それまで“アリジゴクは排泄を..........≪続きを読む≫



一番最後の、コメント、

『思い込みで物事を見てはいけない、と言われたら、大抵の人は「そりゃそうだ」と思うはずだ。でも、思い込みのフィルターをはずして物事を見るのはとても難しい。それが分かるだけに、吉岡くんには素直に拍手である。』

何で、人はみんな、楽な方に・・・楽なほうに

とか、

人と同じように、極力同じように・・・。

とか、発展性が無いのだろう?



子供のときは、大人が言うことすること全てに疑問を持っていて、その疑問のために時間を割いていただろうに。



僕は、正直、異端児です。




この子の気持ちがすごくうれしいし、よく分かる。

この気持ちを大人になっても持ち続けていただきたいね。




わからないことがあったらとことん調べる。



あれっ?
って思うことがあったら、とことん、調べる。



僕の座右の銘。

『出来ることはすべてやる』

まだ子供の時分は、結果的に失敗してしまっても、なんら問題ないんだ!



その失敗の積み重ねの中に、小さいながら成功につながる何かが必ずある。



成功だけが人生じゃない。



いや、むしろ、失敗のほうが多いのが人生です。



でも、その失敗も、チャレンジしなくては生まれない。

ということは、成功も生まれないんです。。。




長くなってしまったのでコレで終わりにしよう。





ただ今、知床に向かって爆走中!!




休憩がてら、温泉によっています。


今夜は、網走で一泊しようかな。




・・・・・・いや、監獄じゃなくて。。。。ね。