「日本の生産性の低さが問題」とかのたまっている人達に是非ご教示いただきたいこと(←ほぼ反語) | 結局、愚痴のはきだめ

結局、愚痴のはきだめ

非公開ブログを目指していたけど…挫折。

 


どうやら、日本経済の問題の重心に「生産性の低さ」というものを見出す“識者”が多いようです。

僕ら日本庶民は特に戦後以降、ことあるごとにエリートから「日本人はとにかく遅れているのだ」とかいう洗脳を浴びせられかけてきたこともあり、

それによる思考の慣性もあいまって「日本経済の低迷からの脱出のカギは生産性向上にこそあり。日本人よ、労働者よ、もっともっと工夫せよ。もっとちゃんと努力せよ。ルックGAFAM(ないしマグニフィセント7)!!!」とかいう物言いには、ついうっかり説得されそうになります。

ですが、その「日本の産業の生産性が低い」ってのは一体どういう意味でいってるんですかね?

たしかに文字通り「付加価値(≒売れた総額)」割ることの「投入された労働力」ということを日本経済にあてはめてみれば、それは「生産性が低い」という計算結果にはなるんでしょうが、

さすがにそういう「のっぺりとした統計的な事実」を言っているわけではないはずなんですよね。

なにしろ、ただそれだけの単純な認識からは、まともな「経済政策」が出てくるべくもないからです。

経済とは理解が簡単なシンプルなものではないし、である以上は、経済を現によくしうる施策がそんなにシンプルであるとはとても思えない。

ともかく日本経済の課題が意識される場面において「生産性の低さ」があたかも決定的な要素かのようにして引き合いにだされるということについては、僕は大きな違和感を感じてしまう。

たしかに、もし将来日本に本当の(≒金融経済だけの繁栄ではなく実体経済上の)好景気が訪れたとしたら、そのときはマクロな指標でみても「生産性は向上した」という統計結果としてつじつまがあっているだろうことは、そのとおりなのでしょう。

しかし、それ(生産性の向上)は「直接に努力の標的にすべきもの」というよりは「狙い(好景気)が達成された場合に付随して観察されるべき現象」というくらいのものでしかないんじゃないでしょうか?

なにかすごい「倒錯的な思考」がそこ(生産性元凶論)の内部には隠れている気がしてなりません。

(※ちなみに、大企業との「体力のある生産主体」についてその余剰資金・内部留保に見合わないような「投資の貧弱さ」を指摘して「生産性元凶論」をいうのであれば、僕もそれなりに賛同できちゃうんですよ。ただし、多くの場合この「生産性元凶論」はマクロ経済的な文脈でいわれるものであり、そうである以上、往々にして企業の99%を占めるといわれる中小企業を標的にしてい言われる論であるわけです。ひどいときには「中小企業の大量淘汰圧」みたいなことまでいわれたりします。淘汰圧が全くない経済はおそらく社会主義経済なわけで、それはそれで健全とはいえないわけですが、ちゃんと世界でも評価されうるレベルの財・サービスを産出しえているはずの多くの日本の中小企業に向けて「もっともっと淘汰圧を!!」みたいなことをエリートが煽っているのも僕はおかしいと思います。以下でとりみだしちゃう熱く詳しく述べるところですが、僕はこの「中小企業を狙い撃ちにするかのような生産性元凶論」のことが「発狂しそうなくらい憎い」ってのが本心であるわけです。)

どのくらいの倒錯さ加減を僕がそこにみているかといことを、風邪のたとえで表現すると、いってみれば、こんなかんじです。

「たしかに風邪が治ったあかつきには、体温は平熱にもどるといえる。だからといって、今まさに風邪にやられている真っ最中の状態の人に向かって“とにかく、その高くなっている体温を下げろ。そしたら治るから”という対処を薦めるとしたら、それは免疫のメカニズム面から言って、完全に間違っている。」

(※もちろん、あまりに体温が高くなりすぎているときは、頭とかを中心に器官の熱によるダメージを回避するために局所的に冷やすことが妥当な時もあるでしょうが、それは“風邪を治す”方向とはまた別の配慮なはずですよね?)

たとえば純日本映画であるらしい「ゴジラ-1.0」は、米アカデミー賞の視覚効果賞を見事受賞したわけですが、

その映画はアメリカの「VFXに注力した大作映画」ではありえないくらい「少人数のメンバー」で視覚効果が担われていたとききます。

ん?これって「日本映画はアメリカ映画より生産性がとてつもなく高くありうることの立派な一事例」なんじゃあないんですかね?

たしかに映画という全産業の内からすると小さな一分野のことではありますが、アメリカ様の映画分野の専門家たちが「日本の方が生産性が高い(費用対効果が高い)」と自供(証言)したような出来事なんじゃあないですか?

あと、近頃のインバウンド(海外からの旅行者による消費)の盛況ぶりということをとってみても「海外と比べた日本産業の生産性の高さの否定もできない証明」になってしまってませんかね?

たしかに円安という価格競争力における下駄やら、今現在の日本の生産性とはまた別の「長年の日本文化の豊かな蓄積」という、このトピックとの関係でまじりっけというべき要素はあるにしても、

アニメコンテンツに魅力を感じて日本にきてくれる外国人や、日本の食に魅力を感じて日本にきてくれる外国人や、日本の便利な文具に魅力を感じて爆買いしてくれる外国人の人達というのをみるにつけ

「は?一体、何をして生産性の低さこそが現在の日本経済の問題だなんて言ってやがんだ?」

という気持ちに僕はなるわけです。

そんな向きの努力はたとえば「ダイナミックプライシング(≒顧客の属性やら、購入・利用のタイミングなどで価格を区別するやり方)を国内的にも広く普及させるなどの工夫くらいには直結するかもしれないけど、

それ(ダイナミックプライシング)による事実上のサービス(財もありうる?)の値上げが、日本経済における「努力の欠如の核心部分」とかいうことを言っているのだとしたら、さすがにそれは「おおげさすぎ」というもんでしょう。

たしかに、良いインフレ循環のためには「妥当な価格転嫁の普及」という流れは重要といえるんでしょうけど、さすがにそれ(価格転嫁の工夫)を主に念頭において「生産性の向上こそが経済の肝だ」とかいっているとしたら「あまりにトリッキーな針小棒大的な物言い」というべきです。

前に別の記事で長文で書いたので、詳しいところまでは繰り返しませんが、僕には日本経済の問題(もしくは日本の産業の問題)は、

結局のところ「日本人を広くかつ長いあいだ覆ってきたデフレマインド」という「生産主体(≒企業)の外にある環境」の問題だとしか思えないんです。

個々の生産主体がどうあがいてもこの「政治や行政が我が国日本において醸成してきた“広く深い将来不安”といういわば“政・官制デフレマインド環境”」なんて自前の努力ではどうしようもないはずなんですよね。

生産主体(≒企業)にとってそんなものは所与の環境というべきものであって「外生変数」といっても言い過ぎではないはずのものなわけです、

それぞれの企業にとって「所与の環境≒デフレマインドが支配する貧弱な内需」なんてものは動かしようもない以上、企業にとっての努力の標的などには到底なりえないものであって、

そういう「組織の外から一方的にやってくる(いわば国内に視点をスライドさせた形のカントリーリスク的な)どうしようもない苦しい環境にあえぐ企業」という状況にたいして、高みから

「お前ら(中小)企業の努力が足りんから、日本経済はこんなに低迷してんだ。ちゃんと生産性上げる努力しろ。怠けてんじゃねー!!」

とかいって存分に認知的なムチを振り回しているのが「生産性元凶論」を採る人達(主にエリート層)の「心根」ってやつなんじゃないかと思うわけです。

その「エリート精神の腐ったようなサディズム」をみせつけられて、一庶民としての僕は思わず天を仰ぐような気持ちになります。

さらには、そういう「気色の悪いサディスト」がどうやら「日本のエリート層の主流を占めているらしい」ということまでをも考えると、もはや絶望をおとおりこして、

「ええじゃないか、ええじゃないか!!」

とかいうナンセンスな奇声をあげながら踊り狂うような、かの騒乱の二の舞でもあえて繰り返してしまおうか、ということまで空想が流れていってしまいそうです…。


ちなみにですが、この「生産性元凶論」を言っている向きの人達はしばしば「アメリカ発のビッグテックのようなビジネス」を念頭においているようです。

ですが、そんなもの日本が望めると思うのもなんか「現実から遊離した能天気なエリートだな」としか思えません。

過去において、日本は自動車やら半導体やらの産業分野で世界覇権を握ったといっていいところまでいったとたんに、アメリカ様やらヨーロッパ様やらにいろいろな圧力をかけられてきて、

業界の世界覇権を握ろうとするたびに国際政治的につぶされてきた経験を繰り返してきたんじゃないですか?

つまり、日本で仮にそういう「ビックテックの芽」のようなものが仮にうまいこと出てきたところで、その日本企業が業界の覇権を盤石にする直前に欧米さまからなにかしらの「ちょっかい」をだされる蓋然性はかなり高いはずなわけですよ。歴史実証的にいってね。

それにたいして日本政府(そしてそれを援護すべきはずのメディアやらアカデミズム等のエリート連中)は「まともに抵抗して守ってやることもできなかった」ってのが戦後の日本経済の歴史であるわけですよね?

そういう来歴が日本経済にはあるというのに、なにを能天気に「日本にもビッグテックが興ることをキボンヌ♪」とかなんか、能天気でメルヘンチックなことをいってるんですかね?

芽がでてきたところで、あんたらエリートはその芽をどうせちゃんとまもれもしないんじゃないですか?

欧米様からの「外圧」によってその芽やら若木が事実上「踏み潰される」のを結局指をくわえて傍観しているだけってオチになるんじゃないですか?

日本のエリートなんてどうせ欧米様に「お前ら、ちょっともうけすぎだぞ、しばらくおとなしくしていろ!」とか言われた日には、その大半がてき面に「しゅん」となって、日本で成長した花形産業なんか簡単に海外の利益のために差し出しちゃうんでしょ?

そんなエリートに「日本からもビッグテックを!!」とか今のままでは「そんなことあんたらエリートの口からは絶対に言われたくない。冗談でも言ってくれるな!!」としか思えません。

(※まぁ、そういうセリフが妥当するかは、それをいう個々のエリートの日頃の行いというか、姿勢というところに依存するものではありますけどね。便宜「大きな主語」で語ってしまいましたが、やっぱり個別の事情やらは大事なので、僕を「大きな主語が大好物な現代左派」とかと同じ穴のムジナだとか思わないでもらいたいです。)

それに、彼らエリート主流派がおしすすめてきた「デフレマインド醸成政策」の一環として、日本の官民両方の研究者は概ね冷遇されて、酷い有様なわけなので、そもそもすぐに日本にビッグテックのような「知的な集積型産業」が成立するとも思えないんですけどね、

日本の「知識の生産性の畑≒研究分野」はすでに、エリート様ご主導の「デフレマインドの日照り」によって、そうとうに荒れ果ててしまっているんですからね。

博士号取得数の減りとか、修士以上の学位の取得者の社会での冷遇とかを考えるともはや「日本の知的生産という畑は、政策的に耕作放棄地にちかい荒地状況にすらある」ともいいうるんじゃないでしょうか。

 

(※ちなみに、僕はこのことすらも、日本特有の社会通念のみならず、ここ数十年のデフレマインドというものが大きく影響していると思っています。なにしろデフレマインドは企業を「これまでやってきたことをより安いコストで」という縮こまった方向に誘がすものなわけですから、そこにおいて、少しでも新しい学問的進展を、という方向で努力を積んできた学位取得者がもてあまされることはあるていど目に見えているからです。)

なので、おもにあんたらエリートのせいで、そもそも「新産業・ユニコーン」の「芽が出るうんぬん」ってな次元の状況でもなくないか?っても思っちゃうわけです。

そういう点も込みでいうならば「日本からもビッグテックを!!」というエリート様達が発する掛け声は、僕ら庶民ならすると何重もの意味で「おいこりゃ!!寝言は寝て言え!!」としか思えない。

さらにいえば、ビッグテックの多くは世界の実体経済を善くして僕らの世界人民(庶民)の幸福に寄与しているとは僕には思えません。

経世済民という観点からみるともはや「害悪」ですらあるかもしれないようなビッグテックが多いとすら思うんですよ。

(※生成AIは今後の進展と、その使われ方によっては、もしかしたら世界庶民にとっての幸福に堅実な形で寄与する可能性があるかもしれません。なので、生成AI関連でちかごろ株をあげまくっているらしいエヌビディアとかは、上記の評価が妥当しない例外にあたる可能性があるかと思います。とはいえ、かなりAGI(汎用人工知能)に肉薄してきているようにも見える生成AIが進出していく各業界において、業界の独占ないし寡占的な状況をもたらすのであれば、それはたぶんトータルでみて世界庶民をこれまでのビッグテック以上に極めて不幸な方向にもっていく働きをもたらすかもしれないというような、疑念を僕はもったりしています。)


たしかに個々のビッグテックは現に「おそろしいほどもうかっている」わけですが、とくに「ネット系ないしプラットフォーマー系」というべき類のものは

実際のところは「広く世界の各所の既存産業を“その経済規模を実質的に縮小させつつ、かっさらっていく”」というような挙動を積み重ねているって営みなんじゃないですか?

もし全世界版のGDP(GGPとかいう言葉になるのかな?)というものがあれば、特にネット系のビッグテックは「むしろGGPを押し下げる役者」となっているようにしか僕には思えない。

全体としては世界の「金めぐり≒付加価値」を減らしているけど、その企業だけは局所的・特異的に莫大な売上と、莫大な時価総額をたたきだしているので、そこの株主はほくほくなわけだし、金融界は「実業界からぶんどれる余剰割合が増えてうれしい」てだけのことじゃないか?

それって、ネット(±の結果)において、トータル評価において、なんにも経世済民になれてもいないよね?


てか、もはやトータルでみたら実体経済(≒庶民の暮らし)の敵だよね?

そんなもの(結果的に僕ら世界庶民の不幸を増やすビッグテック)を無批判にもてはやして、あがめたて目標にすらしている日本のエリートってのも

「欧米様に対してはいつも幼児のように従順だな。欧米様の実践するゲームに無批判にのっかっちゃうんだからな。きっと、自分なりの哲学ってところが空っぽなんだろうな。日本人としての矜持どころか、“名誉白人のつもり”になれさえすれば、それで大満足なんだろうな。」

ってな感想しかもてず、その「エリートのひどい体たらく」に苦しめられている心あたりが様々ある一庶民としての僕には、もはや乾いた笑いしか出てきません。






えー、だいたい、タイトルで示したことの説明はついたかと思うので、最後にそこから一歩前にでるような内容をくわえさせてください。

『 なぁ、エリートさんたちよぉ?!

  僕ら日本庶民のことを腐(くさ)して、僕らに責任転嫁すのが大好きなのかしらんが、あんたら各所のエリートが日本をバブル崩壊から一貫して“デフレマインドの奈落”に突き落とし続けてきたんでしょーが?

  土地バブル崩壊のあとの“バランスシート不況”という「人災」しかり。

  消費税導入と、その後の事あるごとの税率上げ(=景気ブレーキ≒デフレ方向への加圧)しかり。

  ジョブ型の伝統がない日本での“働き方の自由”などという机上の空論をもっての非正規雇用の拡大施策

(※「このままデフレを誘導はしますが、我々と同じエリート仲間である大企業様にだけ特別にこの官制デフレという火の粉を払う魔法の道具“労働力の弾力性を献上しちゃいまーすww」的な政官エリート様のみうちびいきのお手盛り施策、のことです。)

  しかり…。

  そうやって“デフレマインド地獄≒内需のとまらない縮小”を自分たちが各所における施策で熱心に誘導し続けておきながら、

  その地獄の環境で苦しみもがき続けている中小企業にはいまになって「お前ら中小企業がちゃんと生産性向上の努力をしないから、日本経済は病んでいるんだ!!しっかりせいっ!!」

  だとぉ???

  あんたらエリート連中がデフレ地獄に中小企業を突き落したからこそ「中小企業の大半には生産性向上の余裕すらない」状況になってるだけじゃねーのけ?

  先の大戦での軍部政権による各所での「滅茶苦茶な国民いじめ」に比肩すべき「庶民いじめの事績」を日本の歴史上に刻もうっていう企みなんか?

  先の大戦での軍部の国家指導についての数々の語り草としての「時にトンチンカンで、また庶民の痛みをないしろにさえするような酷すぎる国家運営上の判断の数々にたいする悪評」に肩を並べるような「悪評」を、今度は自分たちが引き受けることになる用意はもうできてる、ってか?

  あんたら現代エリートのおつむって…


  本当に、まじ本気で、ダイジョブそう?    』





あ、うっかり頭に血が上ってしまったようです。

かなり下品な物言いになってしまいました。どうも、すみません。

いつもは「対システムという意識に集中すべき」とか高尚風情なこと書いちゃっているので、

上のような露骨な「恨み節」みたいなものをいおうものなら、僕のいつもの調子をご存じの方からは

「おい、タコっすよ。それは立派なダブスタってやつじゃねーのかよ!!」とかツッコミが飛んできそうです。

とはいえ、これまでの記事では主に僕はマクロな制度的なところをまず、改善すべきという「優先順位」をいっていたわけで、

別段、マクロレベルの「個別の加害者・被害者の復讐心を否定したり禁圧したり」というのを肯定するようなつもりも、そもそもないんですよね。

なにしろ、僕は「正義という観念の始源は行為の返報性作用(≒復讐ないしお返し)にこそある」と信じて疑わない向きの人間です。

なので、ダブルスタンダードという批判に対しては次のように弁明させてもらいます。

もっとも優先して努力が投じられるべき「政策論」としては「対システム」という視点を外してはならない。

でも「対システム≒マクロ問題」が整った(それなりに解決した)あとにおいては、個々の過去の当事者間での加害・被害については、被害者がそれぞれで「妥当な範囲での復讐」を許容されるべきである。

なぜならば、それは現に当事者として被害を受けた各人の「人権の根源にすらかかわること」であるから…。

みたいな感じの考え方であるわけです。

僕からいわせると、それはダブルスタンダードなのではなくて、それぞれのカテゴリーが「別の層をなしているだけ」っていうことであるわけです。

まずは政策・制度をまともにすることに集中しましょう。
個別の復讐は、それがおわってから、個々人が存分にがんばればいい。

ってなかんじのことです。

えー、つい勢い余って、いおうとおもっていたこと以上にエグイ本音まで言ってしまったようです。

さすがに今日はこれで、おしマイケル。