参政党沖縄支部の御活動に今日もまた賛辞を贈りたい。@23年冬、沖縄。 | 結局、愚痴のはきだめ

結局、愚痴のはきだめ

非公開ブログを目指していたけど…挫折。


このブログは日本語(日本標準語)で書いているので、想定される閲覧者はかならずしも沖縄の人に限らないことにはなるわけですが、

とはいえ、僕は沖縄人なわけで、あいにくうちなーぐち(沖縄方言)に堪能ではないながらも、どうひっくりかえってみても、やっぱり僕は沖縄人であるわけです。

(※沖縄というアイデンティティーを強調するような物言いだと読めてしまうような書きぶりになってしまいましたが、別に僕は沖縄人を“少数民族”だなんて思っていませんので、そこは誤解なきよう……。沖縄はたしかに縄文の色が濃い地域だとは思いますけど、ふつうに日本語文法が実装された言語を使ってきたわけだし、位置的な影響もあって特徴的な文化風俗を持っているとはいえ、なおれきとした日本内部の一地方であるととらえることに僕は疑問をもってはいません。)

というわけで、沖縄のため、そして日本のために、この沖縄の地でグローバリズム全体主義の傲慢に言論で立ち向かっていくという気概を表してくださっているところの参政党沖縄支部の皆様には、僕は常々頭が下がる思いでいるわけです。

その僕の姿勢というのは、僕が参政党という存在を知ってからというもの、僕のなかで全く変わらず一貫しているところであります。

僕みたいな「カネなし、能力なし人間」でも「シンプルな人手」としてなら党の活動に活用してもらえる余地はあるだろうとは知りつつも、

僕みたいな“クセ強めの野良の読書人間”とはおそらく細かいところではかなり意見が違う方が多くいると思うので、僕みたいな変人が加わると無用な摩擦を生じかねないという懸念もあって、あえて僕は参政党にリアルには参加はしていないんですよね。

というところで、僕は外野からながらも勝手に参政党さんに、感謝と応援の気持ちを抱きつつ、ずっとウォッチさせてもらっているんです。

ところで、僕はいまは“細かいところの意見の違い”で争っている場合ではないとしか思えないわけです。

僕の持論である「ベーシックインカム導入」とか、はたまた「仏教風の諦観の世界観・人間観」とか「反出生主義」とか「麻薬使用に寛容な姿勢」とか…、

そいうことは、おそらく参政党の主流の考え方とは相いれないものなのだろうと思われます。

ですが、それは現状の日本の課題からすれば全部「細かい問題」でしかないと僕は思うわけです。

家屋(住居)建設のたとえでいえば、大問題はまずもって「その敷地についての地盤の安定」の問題であり、そういう問題意識に対応しているのが、僕にとっては「グローバリズムが引き起こしかねない危機のいかん」なのであり、

上に僕が示した諸々のテーマというものは、家屋のたとえでいうなら「敷地の地盤の安定が確保されたうえでの家の構造の選択」とか、もしくは「家の骨組みが決まったあとでの、内装の選択の問題」でしかないと思うわけです。

さらに、このことを僕が好きなお笑いのネタにそくしていうなら、ゆりあんレトリィバァさんの「落ち着いていきや~」ってセリフに合致した状況ってことです。

細かい「家の内装やらインテリアやら家具」のことについて今の状況において熱をあげて議論すべきではなくて、まずは「家が建てられる敷地の地盤の安定」に皆が集中して取り組むべきである。

みたいな感じで「まずは大事なところから押えていかないと全て台無しになるでぇ~。優先順位を間違えずに、落ちついていきや~」ってなことなわけです。

「この期に及んでのさらなるグローバリズムの浸食」という「せまりくる危機」ということこそが「決して細かくない最優先かつ喫緊の問題」なのであって、

それ以外の問題は、いくらそれがそれぞれ根本的な切り口を持っているものだと認めるとしても、すくなくても今の状況においては「細かい問題」と扱うべきなのであり

「グローバリズムに抵抗するという大きな問題を解決したあとではじめて仲良くケンカ(議論)して決めるべきあとまわしにすべき問題」でしかないと思うわけですよ。

敷地の安全性が危惧されている段階において、家が建った後の「インテリアのいかん」について熱を挙げて議論するのはナンセンスだしょ?議論の順番がおかしいだしょ?ってことです。

この土壇場において、政治という地平においてへんに細かい問題にまで首をつっこみすぎることは、グローバリズムがローマ帝国からひきついだ常套手段であるところの「分割統治」の罠にすすんではまっていくような悪手であることは明らかだとも僕は思うわけです。

この現下の大ピンチにおいて僕らはとにかく「グローバリズムの触手から日本に暮らす庶民を守り抜く」というところにのみ集中しないといけない。集中しないとまずい。後でそれを悔いてももうどうしようもないという悲惨なことになりかねない…。

さっきも挙げたところの僕が勝手に個人的に温めつづけている持論である「ベーシックインカム」とか「麻薬礼賛」とかいうことについては、強烈な嫌悪感を覚える方もきっと参政党の党員の中には多くいらっしゃることだろうと思います。

僕はそれらの持論を簡単に捨てることはないかとは思いますが、とはいえこの「グローバリズムにやられっぱなしの日本」という危機的状況において、

それらの僕の持論の社会実装の議論については「タイミングをわきまえて控える」くらいのことは当然するつもりがあるわけです。

まずは「迫りくる全体主義グローバリズムをなんとかはねかえす」ということが絶対条件なのであり、そこすらクリアできなかったら、僕のさきに挙げた持論にまつわる議論はおそらくすべて水の泡にすらなりかねない…。

というのは、もし今の調子のまま「グローバリズムにいいように国民主権を骨抜きにされる」という方向に流れていってしまえばついには「民主主義の命である闊達な議論すら事実上禁圧されることになる」ということになることは容易に予測できるところであるからです。

いいかえれば「国民主権≒民主主義」が防衛できなければ、僕ら庶民には「政策を議論することすら許されない」という「暗黒の未来」すら帰結しかねないわけです。

そういう現状があるという背景において、僕にとって「参政党」とは「今のところ日本で唯一といっていい本格的な反グローバリズム政党」なのであり、

そして、現状のグローバリズムの実態をかんがみると「反グローバリズムとはすなわち、国民主権ないし民主主義の防衛そのものである」といっても過言ではないとすら思われるわけです。

逆からいったほうが分かりやすいかもしれないので、そのことをあえて逆からいうのであれば

「もしも、国民主権や民主主義が全く大事でないと思うなら、どうぞグローバリズムに大いに与する現在の与党、またはグローバリズムに真正面から対決する姿勢をもたない諸々の野党を漫然と支持して漫然と彼らに投票でもしてください」

ということです。もちろん僕は強烈な皮肉のつもりでそれをいっているわけですけどねw

僕はそういう方向(国民主権をみすみす手放す姿勢)にまったく共感はしませんが、ともかく僕の理解では「現下のグローバリズムの浸食に抵抗しないということは、国民主権(さらには民主主義)に全く価値を見出さないっていうふうな意思を持つことに等しい」という見立てであるわけです。

そして、その今の日本ひいては日本に暮らす庶民にとって最重要課題について真摯に向き合って表現活動を展開なさっていらっしゃるのが「参政党の党員の皆様」だと思うわけです。

んで、僕は沖縄に暮らす沖縄人なので、沖縄においてそこにコミットしてくださっている「参政党沖縄支部」の皆様に対しては、以上述べた筋からいって「足を向けて寝られない」というくらいの気持ちにならざるをえないわけです。

まぁ、僕は変な持論を隠しもしない破廉恥な奴であるわけで、そのために「頭のおかしい変人」と嫌われても仕方のない人間だと思うわけなので、きっとこの参政党さんへの「感謝と応援の気持ち」は一方通行なのだと思いながらも、

この「日本防衛のための言論活動における最前線」に自主的にコミットしてくださる参政党員の皆さまに事実上「フリーライド」することになってしまっている一国民の僕としては、そういう気持ちにならないことのほうがむしろ筋が通らないってことでもあるわけです。

えー、いろいろ面倒なことを書きましたが、短くいえば今日いいたかったことは次のようなことです。



『参政党沖縄支部の皆様、沖縄と日本の未来のために御活動くださりいつもありがとうございます。また、我がことながら、そのご活動の重要性に重々気づきつつも、そこにコミットしていない自分のことを大変恥かしく大変申し訳なく思っております。その真摯な防衛運動にフリーライドしてしまっていることを自覚している卑怯者ながら、参政党さんのご活躍をいつも祈らせていただいております。』

ということです。さらに短く言い換えるのであれば、以下のようなことです。



参政党沖縄支部というプラットフォームに集って、沖縄と日本のために日々奮闘してくださっている皆様に、幸あれかし。

 

by “勇なき”卑怯者ながら、参政党さんのご活動に陰で大いに感謝している名もなき一匹のうちなーんちゅ