パンドラの箱 -4ページ目

パンドラの箱

... パンドラは好奇心からすべての悪が封入された箱を開けてしまう。パンドラがあわててふたを閉めると、中から弱々しい声が聞こえてきた。「わたしも、外へ出してください・・・」「お前は、誰なの?」パンドラが尋ねると、中から声が返ってた。「わたしは、希望です。」...

毎日がとてもとてもつらいです。


でも、唯一の救いは、会議に出る度に毎回毎回新しい発見があること。

知らなかった世界を知る喜びがあること。

見たこともない世界を垣間見ることができること。

その、ほんの些細な発見が、私をこの仕事の虜にしています。

毎日が忍耐と喜びの連続です。小さな感動が、私に耐えることを忍ばせます。


知ることの喜びは大きいです。

何にも代え難い喜びです。

その喜びのためにならどんなことをも耐えようと思わせます。

その先に希望にあふれた未来が開かれているわけでもないのに、ただ私に知る喜びを味あわせます。


今ここで学び、得ることの喜びを体感させます。



それで十分だと言うべきですか?

これ以上の未来を望むことは贅沢すぎるのですか?

そもそも未来に希望などないのでしょうか?


希望を抱くとはどういうことですか?

自分が望むゴールに到達しようとすることですか?

自分が望むゴールに到達することに、どれほどの意味がありますか?

そのゴールが良いゴールなのか、悪いゴールなのか、到達してみなければ分からないのに。


もしかしたら、ゴールに到達するよりも、ゴールに向かって立ち向かうことに意味を見いだすべきではないですか?


毎日の血のにじむような苦痛に耐えながら、こぼれ落ちるかすかな滴を少しずつ吸収して、

のどの渇きを潤すように命の光を得ようと繰り返す。

希望を見いだすとはそういうことですか?


だからこそ、夢を追いかけるとは意義深いことなのですか。

単なるすごろくゲームの一環ではなく、気が狂いそうになるほどの忍耐と苦痛と引き換えにのみ、かすかな一歩を踏み出すことを許される、命の躍動であり、魂の高ぶりなのですか。


自分はどうとでもいきていけるんだと知ること。

こうしなきゃいけない、こうじゃなきゃいけない、なんてことはない。


周囲の小さな環境だけ見て、そこに自分を閉じ込めて

その中での生き方だけ考えて、自分を縛ってしまいがち。


どうとだって生きていける。

それを分かった瞬間に、世界が一気に広がる。


だからまず、広い世界に目を向けること。


今いる箱から一歩出て、外の世界にいる自分を知ること。


自分のいた世界を外から見てみること。


道はいくつもあって自分が自由に選べるということ。


渋滞が嫌になったら田舎道を歩いてもいいということ。


車から降りて田んぼのあぜ道を歩いてもいいということ。


そしたら心が自由になれる。


それから初めて自分がやりたいことを見つけられる。