天然痘は,古くから人類の間で流行してきた,天然痘ウイルスによって起こる感染症である。
天然痘とは
天然痘は,人が天然痘ウイルスに感染することによって起こる,ウイルス性の感染症である。
天然痘ウイルスは人間を宿主とする大型のウイルスで,強い伝染力をもち,人から人へと飛沫感染や接触感染によって伝染した。
感染すると,高熱の後,顔をはじめ全身の皮膚に発疹(水ぶくれ)ができ,それが膿疱(うみがたまったもの)になる。致死率は数十%から50%くらいと高く,生き延びた者も皮膚に瘢痕が残り続けた。
古代から中世
天然痘の起源はまだはっきりしていないが,人類が農耕・牧畜を開始した後のどこかで生まれ,その後ユーラシアを中心に広まったと考えられている。
確実な記録の残る最古の例としては,古代エジプト新王国時代の前12世紀のファラオであったラメス5世のミイラから天然痘の痕跡が発見されている。
また,古代のアテネでは前4世紀後半のペロポネソス戦争の際に疫病が流行し,ローマ帝国でも2世紀後半のマルクス・アウレリウス・アントニヌス帝期に疫病が流行したが,これらも天然痘であったのではないかと推定されている。

日本でも奈良時代の735年から737年にかけて西日本を中心に天然痘の大流行が起こり,権力を掌握していた藤原四子(藤原四兄弟)が相次いで死亡し,恐怖と不安から奈良の大仏の造立の理由にもなるなど,政治や文化に大きな衝撃を与えた。
近世
大航海時代のヨーロッパ人の新大陸への進出によって天然痘はアメリカ大陸に持ち込まれ,現地で多くの犠牲を生み出すことになった。
コロンブスの到達につづいてコルテスやピサロなどのスペイン人はアメリカ大陸に進出して征服活動を行ったが,彼らによってもたらされた天然痘は,それに対する免疫のなかった先住民に次々と伝染して広まった。

この結果,先住民に大量の犠牲が出てその人口は激減し,またアステカ帝国やインカ帝国では政治や社会の激しい動揺が起こり,アメリカの文明がヨーロッパ人に征服される大きな要因にもなった。
近代
近代になると,科学が飛躍的に発展するなかで,天然痘を予防する画期的な方法が誕生した。
18世紀末にイギリスの医師エドワード・ジェンナーは天然痘の免疫をつくり出す種痘法を開発し,これによって天然痘を効果的に予防することが可能になった。

以後,種痘法はヨーロッパをはじめとして世界に広まっていき,この結果,先進国では天然痘の流行はなくなっていった。
現代
20世紀半ばまでに先進国ではほとんど姿を消したものの,その後もインド・アフリカ・東南アジアなどの発展途上国では引き続き天然痘の発生が見られた。
これに対し,WHO(世界保健機関)は1958年に天然痘根絶計画を発表し,以後は組織的な対策によって地域ごとに順次根絶されていき,そして1977年の感染例を最後として感染は終わり,1979年にWHOによる天然痘根絶宣言が発表された。
こうして,文明の初期から人類を苦しめ続けてきた天然痘は,ついに消滅することになった。現在では天然痘ウイルスはアメリカとロシアのそれぞれの研究所で厳重に保管されている。