東京大学2018年第3問(6)の過去問題と,東大世界史講師(管理人)が作成した解答・解説です。
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問題の全文を掲載することは避けて,解答するのに直接的に必要な範囲でのみ問題文を引用するか,または趣旨を損なわないかたちで文章の変更や単純化をしています。実際の問題文は,新聞社によってWEB上に公開されている入試問題データや市販の過去問題集などで確認してください。
問題
ウルグアイの独立運動への協力などで南米で勇名を馳せたある人物は,1860年に南イタリアへの遠征を行って,サルデーニャ王国による国民国家建設に大きな役割を果たした。その一方で,彼の生まれ故郷の港町は同年にサルデーニャ王国から隣国に割譲され,その新たな国民国家に帰属することはなかった。この割譲された港町の名前を記しなさい。
解答
「ニース」
ウルグアイの独立運動などで南米で活躍した人物とは,ガリバルディのことである。
ガリバルディは青年イタリアの蜂起に参加して失敗した後に南米に亡命し,そこでウルグアイの独立運動に協力して名を馳せた。
彼はニースの出身で,故郷がサルデーニャ王国によりフランスへ割譲されたことに対して憤慨し,サルデーニャ王国とは別のかたちでイタリアの解放運動を展開した。
解説
ニースは,現在のフランス南東部に位置し,地中海に面し,イタリアとの国境に近い,海港都市である。
ニースは紀元前4世紀頃にギリシア人の植民地として開かれ,その後は古代から中世にかけて,ローマ・イスラーム・プロヴァンス伯などの支配を経験した。14世紀末からはサヴォイア家が領有するようになり,18世紀前半にサヴォイア家が王位を獲得してサルデーニャ王国が成立するとそのままサルデーニャ王国の領土となるが,隣接するフランスとの間で争奪戦が度々行われた。
19世紀後半にサルデーニャ王国を中心としてイタリアの解放と統一を目指す運動が進行するなかで,1860年,サルデーニャが中部イタリアを併合することを認める代償として,ニースはサヴォイアとともにフランスに割譲された。こうして,ニースはフランス領となり,翌年に誕生したイタリア王国には帰属しない結果になった。