<ニコポリスの戦い>
「ニコポリスの戦い」は,1396年,現在のブルガリア北部のニコポリスにおいて,ハンガリーを中心とするキリスト教連合軍とオスマン帝国との間で行われた戦いである。
背景
14世紀のバルカン半島では,ビザンツ帝国やスラヴ人の諸国家が衰え,オスマン帝国による進出が進行していった。
オスマン帝国は,1389年のコソヴォの戦いでセルビアなどのバルカン諸国連合を破って,バルカンにおける優位を決定的にした。その際に君主のムラト1世は暗殺されたが,後を継いだバヤジット1世がバルカン征服事業を継続していった。
このような状況を前に,当時,ハンガリー王となっていたルクセンブルク家のジキスムントは,イスラーム勢力であるオスマン帝国に対する十字軍を呼びかけ,この結果,ハンガリーを中心にフランス・ドイツ・イギリス・イタリアなどの騎士も加わった,ヨーロッパのキリスト教連合軍が結成された。
ニコポリスの戦い
1396年6月25日,ジキスムント率いるヨーロッパ連合軍は,ドナウ川の下流沿岸,現在のブルガリア北部のニコポリスにおいて,バヤジット1世率いるオスマン帝国軍と激突した。
この戦いは,ヨーロッパ連合側では足並みの乱れや作戦の失敗が目立ったのと対照的に,オスマン帝国軍は優れた指揮のもとで巧みな集団戦法を展開し,オスマン帝国の完勝に終わった。
こうして,ニコポリスの戦いでオスマン帝国がヨーロッパの連合軍を撃破したことで,オスマン帝国のバルカン支配は揺るぎないものになった。