<プレスター・ジョン>
「プレスター・ジョン伝説」は,中世から近世の西ヨーロッパで広まった,東方に存在するとされるキリスト教王国の王についての伝説である。
成立
中世後期の西ヨーロッパでは,はるか東方に,キリスト教の聖職者ジョン,すなわちプレスター・ジョンが王として治めるキリスト教の王国が存在するという伝説が生まれた。
まず,12世紀には,ドイツ南部フライジングの司教オットーによる年代記のなかで,東方においてプレスター・ジョンがイスラームと戦ったという話が紹介された。その後,プレスター・ジョンの書簡とされる文書が出回ったり,また吟遊詩人や作家によって語られたりするなかで,しだいにその話は誇張され,盛り上がっていった。
こうして,人々に噂され,語り継がれるなかで,西欧で「プレスター・ジョン伝説」が広まっていった。
影響
12世紀から13世紀の西ヨーロッパでは,イスラーム勢力に対する十字軍が展開されていたことを背景に,イスラームのさらに東方に存在するプレスター・ジョンの国と結んで,東西からイスラームを挟撃しようという計画も持ち上がった。このことは,ローマ教皇インノケンティウス4世によるプラノ・カルピニの派遣や,フランス王ルイ9世によるギヨーム・ド・ルブルックの派遣など,西欧から東方へと使節が派遣される一因にもなった。
15世紀から16世紀になると,アフリカ東部のエチオピアに存在していたキリスト教の王国が,プレスター・ジョンの国だと見なされるようになった。このような考えは,エンリケ航海王子やジョアン2世などによるポルトガルの航海事業を刺激し,ひいては大航海時代の開幕にも影響を与えることになった。