大きい代償:散財<前編>
【スピリチュアルという大海原への出航】
自問自答しつつ自力で気付こうとする手段は、
スピリチュアル従事者から教わることだと思います。
その道のプロから教わり知識を得るのが、
やはり気付きへの一番の近道と思います。
こうやって様々にスピリチュアルを身に付けていき、
スピリチュアルという大海原で学びます。
何事も学ぶには学費がかかります。
スピリチュアルな学費は高額な場合がほとんど。
この頃にはもう既に自分の外に答えがあると信じているため、
外に答えを求め散財していく傾向にあります。
格安であっても回数嵩めば同じこと。
こうして学びを進めるうちに、
真実や答えが分からなくなってしまう人が多いのは現実かもしれません。
それはスピリチュアルを伝える側それぞれに哲学や思想、主観があるからです。
具体的には
伝える側の
●スピリチュアルの理解不足
●意識の軽視
●人格の欠如
が大きく左右しているのではないかと思います。
そう。
上記●は、我々のような職業を生業にしている側の落ち度です。
親しくなった友人だから、
良かれと思う親切心から、
タダで情報を伝える・教える・助言する、
哀しいかな、
上記●に該当してしまうのです。
禁じ手⑪へ、つづく。
それでは、また。
いつも読んでくださり、ありがとうございます。