グッと堪えなければならない心情。
これは、かなりの忍耐です。
禁じ手②で触れたように、職業柄、相談者の先が読めます。
なので、
早々に明らかに救いと分かる手を差し伸べ、
相談者を引き上げれば、
相談者は頭をぶつけずに済み、手痛い経験もせずに済みます。
しかし、
これは相談者の行く道を邪魔する行為以外の何ものでもないのです。
この言葉も先の記事で述べましたが、
人は誰でも自分の人生に責任を背負っています。
相談者が自身の課題や学びを経験している最中に、
中途半端に救いの手を出すことは、
その相談者の人生を背負う責任を共に背負う、
ということです。
禁じ手とは、これほど深刻な救いの手なのです。
このような真実を知ってか知らずか、
救いの手を差し伸べては、
「人助けしたのに...。」
とボヤく人をわたしは見てきました。
彼らに問いたい。
「相談者の人生、引き受けられますか?」
「他人の人生、背負えますか?」
と。
わたし?
わたしは無理です。
わたしはわたしの人生を責任持って全うします。
わたしは、わたし以外の人や他人、相談者にも、
それぞれ自身の責任で己の人生を全うして輝いて欲しい、
いつもそう願っています。
だからわたしは、
個人セッションを初めた頃から、
スピリチュアルな真実を伝えて行くと決めた時から、
相談者が自分の人生に責任を持てるように一貫して自立を促してきました。
禁じ手④へ、つづく。
それでは、また。
いつも読んでくださり、ありがとうございます。