成果主義批判がここ数年、否定の嵐にあっています。
リーマンショックの際にも、終身雇用の古き良き時代という
文脈で(すごい勢いで論理の飛躍をして)成果主義を否定するエッセイをいくつか見かけました。
でも、本来、成果主義は、総論では社員一人一人のためで
心から全否定する人は少なかったりします。
イデオロギー化しているところはともかく、社員の頑張りに
正しく報いていくという理想は(実現性は別として)支持されることが多い。
それでも成果主義批判華盛なのはなぜでしょうか?
・『数字』(売上、利益)しか評価されない
・『短期的』業績しか評価されない
・『個人の業績』だけが評価され、チームワークやOJTが阻害される
・報酬は『金銭的報酬』のみ
などなどの批判が典型的です。
評価には絶対評価・相対評価と人件費原資の矛盾問題など
他にも様々な問題を抱えています。
その中で、今回軽く触れたいのは、
「成果主義≠終身雇用」
という考え方。
終身雇用が必ず「善」とする考え方はとても危険です。
勝間和代さんも言っていますが、終身雇用を前提とする
日本の採用・雇用制度は様々な日本の問題の根っこだったりします。
しかし、一面では(実現可能性は別として)生活保障上求めている
人が多く、簡単に全面否定していいものでは決してありません。
終身雇用のある種の要素は、今後も重要であり続けるでしょう。
そういうことで一旦終身雇用を「善」とすると、
ありがちな論調では、成果主義は「悪」とされてしまいます。
なぜなら、成果主義は、終身雇用ともっとも遠いところにあるとされているからです。
しかし、実際には、成果主義をうまく取り入れることで、
高度経済成長を前提としない世界での終身雇用(長期雇用)の
実現可能性は高まる場合が多いのです。
ここでの成果主義は、誤解を恐れず言うと年功制度の否定です。
単純化して言うと、仕事を分解・定義しやすかった定型業務と相性の良い職務主義から
非定型業務を遇するために、職能主義が広まりました。
しかし、職能主義で計測しいようとする人の(潜在)能力なんて中々測れるものではありません。
なので「社歴が長ければ、貢献能力も高まっていくでしょ。ざっくり言えば」という
前提でいわゆる年功制度が広まり根付き、伝統的な日本的経営手法のように言われるようになりました。
それが経済成長の鈍化と、高齢化と、環境変化で維持困難になってきたため、
これだけ騒がれているわけです。
そして、成果主義で、年齢に関係なく役割範囲などに基づき処遇を決めることで
硬直的な年功主義では高コストで終わっていた雇用が柔軟に継続可能になるのです。
とはいえ、それを前提に個人も、組織も、制度も、人材開発も、役割分担も
生活設計も、社会設計も行われていなかったため、そんな簡単に移行できる
話では残念ながらありません。
ただ、まったく無理かと言ったらそうではない。
短期的効用の限界と痛みを受け入れ、そういった長期雇用のあり方を
少しずつ作っていかないと、日本と日本人のリスクがどんどん高まるだけではないでしょうか。