「『土日が休み』の人って、
 日本のフルタイム労働者の何割くらいだと思います?」

そんな質問を、自分の知り合いやお客様10名に
適当に選んで聞いてみました。

仲のいい友達がパン職人で、月6日不定期休みな関係で
ふと気になって聞いてみたんです。


結果どうだったと思います?
10人中10人は、9割以上の日本人フルタイム労働者が
土日休みだと答えました。

「普通土日休みでしょ?土曜に会社ある人もいるだろうけど。」
という顔で、当然だろうとばかりに。

いや~、改めて自分の周りの人間はなんだかんだ言って
偏っているな~と思いました。


参考までに、総務省の統計で、
(http://www.stat.go.jp/data/index.htm)

日曜日仕事の人が約35%
土曜日仕事の人が約60%

という数字が出てます。

まぁ、正直自分もサラリーマンになりたての頃は、
フルタイムのほとんどは月曜~金曜働いて、
土日は原則休みがほとんど、という感覚でした。

いや、冷静に考えればそんなことありえないのですが。

例えば、飲食や小売が労働人口の何割を占めているか。
勿論パートタイム労働で多くをカバーしているものの、
フルタイマーもたくさんいらっしゃいます。

・恋人と週何回会うか
・残業代は申請するか
・タクシーはどのくらい使うか
・トイレは週何回掃除するか

世の中に、これほど統計数字があふれているにもかかわらず、
周りの人間が、3,4人が言う意見が同じようなこと言っていると
頭ではサンプル数も偏りもわかりつつ、
身近なことほど「常識」だと思ってしまいます。

特に終身雇用の会社の中など。
組織や職場の常識って意外と聞いていると面白い。

当たり前って感覚、意外と危ういなと、
自分の周りの人間の数人の意見で形成された常識って、あてにならないなと、
改めて思いました。


長時間労働で、過労死する方がいる一方で、
仕事がなくて、自殺される方がいる。



大人はこういった現実をある程度わかっているので、
悲しいと思いつつも、そういうもんだと特にそれ以上考えません。



逆に、小学生にこういう話をすると、
「なんで~?」
となります。


そして、この疑問に真正面から応えられる大人は意外と少なかったりします。


いわゆるワークシェアリング問題です。


仕事が多すぎて苦しんでいるAさんと、
仕事がなくて苦しんでいるBさんがいるなら、
Aさんの仕事をBさんに渡せばいいという話。


一昔前に活発に議論されたテーマです。
オランダ、フランス、ドイツなどヨーロッパで導入され、
部分的に成功したことも、注目を集めた理由でした。


ただ、当たり前ですが、
現実にはワークシェアリングには課題があります。


①【給与】の分配
 (仕事減らせる人が、どの程度給与を減らし、それを誰に渡すか)


②職務遂行【能力】と効率
 (単純な遂行能力、共通ナレッジや緊急対応、採用と育成効率など含め。
  ホワイトカラーには向いていないという議論もこの範疇)


③広義の【兼業】の難しさ
(派遣、請負、兼業、外注、別会社化議論も含め。サラリーパーソンの前提も変化。)



物凄く乱暴な話をすると上記の3点が
ワークシェアリングが、小学生が思うように
仕事を単純にシェアすればいいという話ではなくなってくるのです。


このテーマは、社会問題としても非常に重要ですが、
外注論や、採用、適所適材、育成などの「組織論」の観点でも
興味深いテーマです。


①~③の問題は、理論上は(部分的には)解決可能な問題も
意外と多いです。実際、部分的に成功している国もあるわけですし。


ただ、
・「思い込みによる思考停止」
・「既得権の喪失」
・「緊急性の欠如」


などで、大事な問題でありながら、
なかなか大きな動きがないまま時間が過ぎています。


また、日本においては、派遣や請負が今回のリーマンショック以降
問題視されており、感情論でワークシェアリングも表現の仕方によっては
猛烈な反論を受けそうです。


ただ、雇用とワークライフバランス、ダイバーシティにも関わるところですし、
国の競争力にも結局繋がってきます。


また、本格的に議論をしなくてはならない日も来るかもしれません。


まずは、国でなく、ロールモデル企業が出てくることかな。


メイン業務ではないが、
カウンセラーのようなことをすることもあります。


その際、テーマは多岐にわたるのですが、
ここ1カ月多かったのは、


「自分を責め過ぎて、塞ぎ込んでいる優秀な方」


とのカウンセリング。


そういった方の、そういった状態の原因を
安易に括ることは当然できません。とはいえ、
一つ共通して出てきたことがありました。それは、


「自責の誤用」


自責とは、すべての物事を自分次第とするスタンス。


何かうまくいかないことや失敗があっても
他人や環境のせいにしないといういう
ニュアンスでよく使われます。


色々な自己啓発本で、
(言葉は違えど)自責が勧められています。


私自身も、大事な概念だと思いますし、
プロ(社会人)の基本であり、
自分自身も当然ながら、基本スタンスとしています。


しかし、これが組織や社会で
“濫用”されることがままあります。
(詳しく言及しませんが、イデオロギー臭がすることさえあります。)


いろんな濫用のかたちがありますが、


①自分で自分に言い聞かせる自責
②教育の観点でフェアな叱責として行われる自責


の2種類以外は、濫用であることが多いです。


組織で上長が、部下に向かって、自責を強いながら、
自分自身の責任まで部下に「他責」して、
自分の上司には部下のせいだと報告というのが(軽度の)典型例です。


いい具合に割り切って、受け流せる人はいいのですが、
素直に自責をしすぎてしまうと
精神的に本人がきついだけでなく、
無意味な反省と業務改善が発生し、また負の組織風土まで生みだしかねず、
組織としてもマイナスになりえます。


原則は、自責は、(当たり前のようですが、)
自分が、自分を律する基本スタンスです。


当然、現実には自分では(少なくとも短期的には)どうしようも
ないことがほとんどです。とはいえ、そういった中で
ひとや環境のせいにして不満をいったり、自ら動かないのは
何の解決にはならない。だから自責が基本スタンスなのは正しいでしょう。


ただ、濫用された“自責”まで100%真に受けてしまうと、
素直な人が必要以上に悩んで、したたかな人が責任逃れしやすく、
本当の問題が隠れやすいという本末転倒がおき、
結局、実質は他責が横行しているなんてことになりかねません。


自責。


大切ですが、大切だからこそ、
付き合い方を間違えないようにしたいですね。