就労継続支援A型事業所 わーくぷらすin大阪 -16ページ目

就労継続支援A型事業所 わーくぷらすin大阪

大阪府大阪市にある就労継続支援A型事業所わーくぷらすの活動の履歴

おはようございます。わーくぷらすの利用スタッフA.Uですおねがい

 

先週末、とうとうここ大阪は最高気温30℃を記録し、真夏日になりました💦

めっちゃ暑かったです晴れ

 

さて、私の息子は現在、小学6年生ランドセル

思春期真っ只中ですが、まだまだ可愛い甘えん坊くまクッキー

でも、来年はいよいよ中学生。

時が経つのは早いものですね・・・笑い泣き

 

小さい頃は、今日のやりたい事だけをただやり過ごしていたのが、現在では、自分の未来のことをいろいろ考えるようになってきました。

 

先日、息子が「そのうち1人暮らしがしたい」というので、

私が「ご飯とかどうするの?」を聞くと・・・

 

「どうしようかなぁ?

うーん、ママが作りに来て!

 

毎日ハート

 

えーと、大変嬉しいお言葉ではありますが・・・

毎日、作りに行っていたら1人暮らしちゃうやん(笑)

と心の中で突っ込みました爆  笑

もう、こういうところは子供ならではでホント可愛いです!!

 

ちなみに現在の息子の夢は『ユーチューバー』ハッ

カラオケに行っても「ユーチューバーのうた」を歌うぐらいYouTubeが大好きらしいですびっくり

でも、「ユーチューバー」だろうが何だろうが、私は息子にいろんな経験をしてもらいたいので、どんな夢でも陰ながら応援しておりますウインク

 

これからもどんな出来事が起こり、どんな発言をしてくれるのか・・・

非常に楽しみですニコニコ

 

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障がい者就労継続支援A型事業所

合同会社 わーくぷらす

HP:http://www.work-plus.co.jp/

Twitter:https://twitter.com/work__plus

 

 

 

 

利用スタッフのFです。

よろしくお願いします。

 

日本語を話しているから生来的に豊かな感性が育つわけではないと前回書きました。

 

いやいや本人は意識せずとも、俳句や短歌に接していない日本人はいないのだから感性の土壌は知らず知らずのうちに耕されているはず…と言いたいニッポン(現実の日本ではない仮想の国だからあえて)人はいるかも知れませんね。

 

関係ないです。

 

わたくし的理論では感性が育つには一定の条件がそろわねばならないから。

 

 

 

【俳句の季語、俳句、短歌の字数制限がなぜ表現を豊かにするか】

 

逆説的な話です…表現方法の選択肢を減らすのにも関わらず。

 

さて、子供の固定概念の枠を外れた発想や発言を「感性が鋭い」と称賛する方もおられますね。

これも認識が不十分。

 

盲目のピアニスト辻井伸行氏の幼少期のエピソードにこんなのがあります。

『 伸行が小さい頃、こんなことがありました。色を理解させるために、「りんごの赤」「バナナの黄色」などと教えていたとき、伸行は「じゃ、今日の風はなに色?」と聞いてきたのです。大好きな食べ物に色があるなら、同じく大好きな風に色があっても不思議はありません。思えば、音色という言葉があるように音にも色があります。ですから、風にも色があってもいいわけで、それは伸行にとってはごく自然なことだったのです。』

 

「風の色」と聞いただけで「凄い発想だ⁉」と感性大好き・大人になっても絵本が友だちな人は心震えていることでしょう。

 

伸行氏のお母様は冷静に自然なことと受け止めているのにね。勝手な解釈ですが、これは我が子の世界観に母親が気付いたエピソードであって主役は母の方だと思うのです。

 

伸行氏が風の概念を知るには視覚情報が足りない。

子どもが意表を突く発想をするのは世の標準をまだ知らないから。

子どもが予想外の表現をしてしまうのはボキャブラリーが不足しているから。

 

実に単純な話です。

 

固定概念を身につける手前の人間が、彼彼女の中にある言葉の中から伝えたいことに自分がもっとも相応しいと思える語彙を選んでいるだけなんです。

 

 

なのに「感性豊か」と評してしまう人はただの無知、あるいは理科の実験が苦手な人です。

理科の実験は条件を揃えるという大前提がありますから。条件がまちまちでは比較できないのでね。

盲目や幼児の限定されたボキャブラリーは「実験」の条件のうちのひとつと考えなければなりません。

 

大事なのは「風の色を知りたい」という好奇心であり、言葉を知らなくても表現したいという欲求なんです。

 

感性の第一段階は好奇心と表現欲。これがないと始まらない。

 

でもこれだけじゃあ感性にはまだ足りない。

 

しかし人の関心を呼ぶには「予想外」あることが必要なのは分かりました。ものすごく単純に言うなら、予想外とか今までにない表現とは「驚き」のことです。

逆に言うと「固定概念」が世界に満ちていないと「予想外」はあり得ないのです。

 

さらに逆算で考えるなら「驚き」を得るためにあえて「固定概念」の枠組みを作ったのが(たとえば俳句なら五七五という)ルール。

 

そのルールに則って作られた表現がおおよそ似通ったものになってしまうのは否めません。

 

俳句や短歌、音楽、絵画で驚きを得るには、固定概念通りの表現をする作者が99人必要で、例外の1人の出現を待たなきゃいけないのかもしれない。

 

マニアックな例を挙げるなら、ウルトラマンのシリーズで脚本:佐々木守氏、監督:実相寺昭雄氏の作品群が名作と呼ばれていることは特撮ファンの中では常識となっています。宇宙開発の歴史から消された宇宙飛行士が地球人に復讐したい一心で怪獣と化したエピソードとか、やたら重い怪獣への対抗策をコミカルに描いたエピソードとか。

独特の表現もあり強烈な印象を残しているせいで、ウルトラシリーズの代名詞として扱われることもしばしば。実際当時のこどもたちは月曜の朝は昨夜の実相寺ウルトラマンの話で盛り上がったものです。

 

違うんです。

 

円谷プロ文芸室の金城哲夫氏が、変化球をも受け入れるだけのしっかりした骨格を作っていたからこそのイレギュラーエピソードなんんです。

つまりもし変化球だらけのシリーズだったら、当時のこどもに受け入れられない難解なウルトラマンで終わっていたことでしょう。最悪、実相寺監督さえも埋没しかねません。

 

バルタン星人やネロンガが暴れて科学特捜隊が出動し、万事休すでウルトラマン登場という大前提が五七五であり、五七五七七なのです。

※僕は実相寺作品特有の土埃が漂ってくるような設定が苦手で、銀色に輝く未来世界を台無しにされた気分でした。 

 

俳句短歌の大前提を崩さず、しかも凌駕する表現とは、作者の好奇心が人の向かう場所とは違っていて、そして今までにないものを既存の言葉で表現する欲求が必要だということです。

 

じゃあ感性の完成って何って話は…次回。

 

 

 

 

 

 

はじめまして、利用者@SPです。

4月にわーくぷらすに入社した新人です。チューリップ赤

入社直後は、緊張もあって他の方とあまり会話が出来ずずっと静かにしている状態がしばらく続きましたが、皆さんと協力する業務や、自分から少しずつ積極的に話しかけたり作業を毎日していくうちに少しづつ打ち解けていき、不安も薄れて今日まで通えています。晴れ

今は、LINEスタンプのイラストをデザインしています。

最初に原画でイラストを紙に描いて、その後にPhotoshopで着色していく作業をしています。PC

描き始めたころは、たくさんあるイラストを一つずつ描いていくのですごく大変でしたが、周りの方や職員のおかげでちょっとずつソフトの扱い方から裏技まで、たくさんの事を教わりこの短期間ではありますが、とても成長できたと思っています。馬

今後は、体調を整えてしっかりと仕事に取り組めるように、毎日を頑張ろうと思います。グッ

 利用スタッフのH.Yです。

私が、わーくぷらすに来て2年少しとなります。

遊んで暮らせる人は、余暇を楽しんで生活出来るのだろうけども、基本的には人は生きていくためには働かなければならないです。

 

 私も、生活するために仕事をして収入を得なければいけません。

その為に必死に仕事を求めて就職活動もしましたし、実際に一般就労で働きました。

 

 でも、病気のせいなのかどうか分かりませんが、一般就労は長続きしませんでした。

それでも働かないと生きられないから、ハローワークに通い詰めて、就労継続支援A型に自力でたどり着いたんです。

 

 ちなみに、就労継続支援にA型とかB型の種類があるとかも何も知りませんでした。

だだ、私の頭の中には、お金の事しかなくて、何かがやりたい訳でもなくて、出来ないパソコンを触れられてお給料が貰えればいいしかなかったのです。

 

 そんなカネゴンな私でしたが、最初はA型事業所のわーくぷらすでも続けてまともに出勤出来ずで、「具合が悪いなら治療に専念しますか??」という状態でした。

 

 その私が今では、2年を超えて何かを身に着けて再び一般就労への道を作りたいと感じて頑張って行こうと思うのです。

 

 心も身体も健康第一です。でも、生きるにはお金も大事なんです。 

 

 やっぱり、私は相変わらず、カネゴンなのでしょうかね。

(*^。^*) 笑!!

 

利用スタッフのFです。

前回のわたくし的言語考察の続きです。

 

日本語の特性を日本人ゆえに勘違いしていることがあります。

特性というよりは、日本語で表現できるものと言った方がいいかな?

 

日本語が持つリズムである七五調でもっとも有名なものは、

短歌(五七五七七)ですね。

…今ではポピュラーではありませんが、和歌には短歌に対し長歌(五七×over3)がありました。

さらに俳句(五七五)、そして俳句から季語を除いた川柳があります。

 

漢詩に対して倭の歌(倭歌/和歌)が生まれたのは、ロックンロールが日本に輸入されて当初は言語で歌われていたものが、自分たちの言葉で歌いたくなったようなものと同じだと思えばいいですね。

実際に昭和3、40年代では和製ロックなんて呼ばれていたくらいです。

 

和歌、俳句共通して語数の制限を設けて発展してきました。

 

和語が元々五七に馴染みやすかったのか、それとも和歌を詠む層が当時の知識層だったので、漢語の訳や、当時新しく生まれた概念を五七に揃えたのか、

おそらく両方でしょう。

 

万葉の時代の貴族が競って恋や世の移ろいを和歌に乗せて、現代まで当時の雅な文化を伝えてくれて、

俳諧では芭蕉が江戸時代から、

俳句を生み出した子規が明治時代の空気を残してくれました。

 

単純に受け取ると日本は昔から精神的に高い文化を誇っていた、すげえぜ日本!となってしまいます。

おおよその日本人がそう感じているかも?

 

でも言いようによっては和歌は漢詩から派生したともいえるので、当時の唐の先進性を忘れているし、漢詩も五言、七言という文字制限があるので、特有とも言い切れませんし。

 

またこれは「昔の芸人は面白かった」と同じで、凡庸な歌が淘汰され優れたものが残ったという事実も忘れています。

 

「日本古来「」日本特有」というスペシャルな響きが好きで思考停止になっているんですね。

 

逆に俳句や短歌を学べば高貴な精神が宿るか?と問われれば、わからないと答えることしかできません。

その人が詠んだ一句を、選者が後世に残したいと考えるとは限らないから。

はっきり言ったら、今に名が残る詠み人と肩を並べるのは限りなく不可能な話です。

 

ましてや同じ列島に生まれただけで、時代も違うのに同レベルの精神性を持っているなんてのは勘違いも甚だしい。

 

(そもそも現代日本に住む自分と共有などしていない)日本古来の文化の素晴らしさではなく、日本に表現機会を持った特定の人物に特有のセンスと選び残した選者特有のセンスの相乗効果だったということ。

これが第一の勘違い

 

さて次に話が変わったようで変わってないことを。

 

僕は和歌の文字数は、ラップの韻を踏むのと同種の表現だと思っています。

韻を踏むのは、ラップに限らず、西洋の詩、漢詩にもある珍しくない表現法なので、制限という意味では同じではないでしょうか?

 

音の種類や音の数を揃えるのはレギュレーションだと考えればより分かりやすいかも?

オートバイレースの最高峰MotoGPしかり、カーレースのF-1しかり、厳密なレギュレーション=機会の平等化が先鋭化の役割を果たすという話です。

 

普通、制限を設けるよりも自由に表現する方がより伝えたいことをが伝わる可能性が高くなり、芸術の方向性が拡がるんじゃないかと考えませんか?

 

 

次回予告「感性を説明する」