利用スタッフのFです。
よろしくお願いします。
日本語を話しているから生来的に豊かな感性が育つわけではないと前回書きました。
いやいや本人は意識せずとも、俳句や短歌に接していない日本人はいないのだから感性の土壌は知らず知らずのうちに耕されているはず…と言いたいニッポン(現実の日本ではない仮想の国だからあえて)人はいるかも知れませんね。
関係ないです。
わたくし的理論では感性が育つには一定の条件がそろわねばならないから。
【俳句の季語、俳句、短歌の字数制限がなぜ表現を豊かにするか】
逆説的な話です…表現方法の選択肢を減らすのにも関わらず。
さて、子供の固定概念の枠を外れた発想や発言を「感性が鋭い」と称賛する方もおられますね。
これも認識が不十分。
盲目のピアニスト辻井伸行氏の幼少期のエピソードにこんなのがあります。
『 伸行が小さい頃、こんなことがありました。色を理解させるために、「りんごの赤」「バナナの黄色」などと教えていたとき、伸行は「じゃ、今日の風はなに色?」と聞いてきたのです。大好きな食べ物に色があるなら、同じく大好きな風に色があっても不思議はありません。思えば、音色という言葉があるように音にも色があります。ですから、風にも色があってもいいわけで、それは伸行にとってはごく自然なことだったのです。』
「風の色」と聞いただけで「凄い発想だ⁉」と感性大好き・大人になっても絵本が友だちな人は心震えていることでしょう。
伸行氏のお母様は冷静に自然なことと受け止めているのにね。勝手な解釈ですが、これは我が子の世界観に母親が気付いたエピソードであって主役は母の方だと思うのです。
伸行氏が風の概念を知るには視覚情報が足りない。
子どもが意表を突く発想をするのは世の標準をまだ知らないから。
子どもが予想外の表現をしてしまうのはボキャブラリーが不足しているから。
実に単純な話です。
固定概念を身につける手前の人間が、彼彼女の中にある言葉の中から伝えたいことに自分がもっとも相応しいと思える語彙を選んでいるだけなんです。
なのに「感性豊か」と評してしまう人はただの無知、あるいは理科の実験が苦手な人です。
理科の実験は条件を揃えるという大前提がありますから。条件がまちまちでは比較できないのでね。
盲目や幼児の限定されたボキャブラリーは「実験」の条件のうちのひとつと考えなければなりません。
大事なのは「風の色を知りたい」という好奇心であり、言葉を知らなくても表現したいという欲求なんです。
感性の第一段階は好奇心と表現欲。これがないと始まらない。
でもこれだけじゃあ感性にはまだ足りない。
しかし人の関心を呼ぶには「予想外」あることが必要なのは分かりました。ものすごく単純に言うなら、予想外とか今までにない表現とは「驚き」のことです。
逆に言うと「固定概念」が世界に満ちていないと「予想外」はあり得ないのです。
さらに逆算で考えるなら「驚き」を得るためにあえて「固定概念」の枠組みを作ったのが(たとえば俳句なら五七五という)ルール。
そのルールに則って作られた表現がおおよそ似通ったものになってしまうのは否めません。
俳句や短歌、音楽、絵画で驚きを得るには、固定概念通りの表現をする作者が99人必要で、例外の1人の出現を待たなきゃいけないのかもしれない。
マニアックな例を挙げるなら、ウルトラマンのシリーズで脚本:佐々木守氏、監督:実相寺昭雄氏の作品群が名作と呼ばれていることは特撮ファンの中では常識となっています。宇宙開発の歴史から消された宇宙飛行士が地球人に復讐したい一心で怪獣と化したエピソードとか、やたら重い怪獣への対抗策をコミカルに描いたエピソードとか。
独特の表現もあり強烈な印象を残しているせいで、ウルトラシリーズの代名詞として扱われることもしばしば。実際当時のこどもたちは月曜の朝は昨夜の実相寺ウルトラマンの話で盛り上がったものです。
違うんです。
円谷プロ文芸室の金城哲夫氏が、変化球をも受け入れるだけのしっかりした骨格を作っていたからこそのイレギュラーエピソードなんんです。
つまりもし変化球だらけのシリーズだったら、当時のこどもに受け入れられない難解なウルトラマンで終わっていたことでしょう。最悪、実相寺監督さえも埋没しかねません。
バルタン星人やネロンガが暴れて科学特捜隊が出動し、万事休すでウルトラマン登場という大前提が五七五であり、五七五七七なのです。
※僕は実相寺作品特有の土埃が漂ってくるような設定が苦手で、銀色に輝く未来世界を台無しにされた気分でした。
俳句短歌の大前提を崩さず、しかも凌駕する表現とは、作者の好奇心が人の向かう場所とは違っていて、そして今までにないものを既存の言葉で表現する欲求が必要だということです。
じゃあ感性の完成って何って話は…次回。