こんにちは(*゚ー゚*)
昨日ですが、ジュニアが読んでくれた、卒業前の最後の国語の教科書内容に、
非常に感慨深い思いで聞かせてもらいましたバンビーニです(涙)
全内容は、お近くの小学6年生の国語教科書にてどうぞ(笑)
私が特に感銘を受けた、抜粋文だけを書かせて頂こうと思います。
題名は「君たちに伝えたいこと」文 日野原 重明
「私がイメージする寿命とは、手持ち時間を削っていくというのとはまるで反対に、
寿命という大きな空っぽの器の中に、精一杯生きた一瞬一瞬を詰め込んでいくイメージです。」
「時間というものは、止まることなく常に流れています。
けれども時間というのは、ただの入れ物にすぎません。
そこに君が何を詰め込むかで、時間の中身、つまり時間の質が決まります。」
「君が君らしく、生き生きと過ごせば、その時間はまるで君に命を吹き込まれたように生きてくるのです。」
「できることなら、寿命という私に与えられた時間を、自分のためだけに使うのではなく、
少しでも他の人のために使う人間になれるようにと、私は努力しています。
なぜなら、他の人のために時間を使えた時、時間は一番生きてくるからです。」
「君が生まれた時に、君の周りの人達がどんなに幸せに包まれたかを、君は想像したことがありますか。
小さな君が笑うたびに、きっと君のそばにいた誰もが思わずニッコリと微笑みを返したことでしょう。
君が体いっぱいに泣いていれば、そばにいた人たちは、どんな用事で忙しくとも、
その手を止めて、君のもとに駆け寄ったことでしょう。」
「そうやって君のお世話をすることが、そばにいた人たちには時々、
とても疲れてしまうことであっても、そうすることはそばにいた人たちにとって、
他の何物でも味わうことのできない喜びでもあったのだと思いますよ。」
「なぜ、そうやって君の世話をすることで喜びがわいてくるのか。
そして、それがどんな喜びだったのか分かりますか。
それは、自分の時間を純粋に君のために使っていたからこそ、わいてくる喜びだったのです。」
「ほかの人のために自分の時間を使うということは、自分の時間がうばわれて、損をすることではないのです。
それどころか、他のことでは味わえない特別な喜びで心がいっぱいに満たされるのです。
こんな大きなお返しをもらえるなんてことなんて、滅多にありません。」
「長い人生においては自分の思うとおりにはいかないこともたくさん出てきます。
君が自分で選び取ったわけでもないのに、
辛くて悲しいことにも出会わなければならい日が、この先にはあるかもれません。
そんなときには、いつもの君のように、前向きに物事を考えたり、
かっこよく過ごしたりなんて、とてもできなくなりますね。
悲しい時の自分なんて消してしまいたいと思うことさえあるかもしれません。
でもそんな時にも、忘れないでいてほしいことがあります。」
「嬉しいだけが「君」ではありませんよ。
笑っている時の君だけが「君」ではありませんね。
悲しい時の君も、恥ずかしくて消えてなくなりたい時の君も「君」なのです。」
「だから、辛い時や悲しい時の自分も大切にしなければなりません。
成功して喜びでいっぱいになっているときの君も、失敗して涙を流す君も「君」です。
どんなときの自分も大事にすること。
自分のことをいつも大好きだと思っていること。これはとても大切なことです。」
この文章を書いた方は、日野原重明さん(97歳のとき)
東京の病院の医師でした。
ジュニアの6年生最後の年に受け持ってくれた先生が、念願の男性教師でした。
お陰で父親との接触が薄い(笑)ジュニアにとって、男とは!の形を体をはってたくさん教えて下さったお方で、私が小学生の頃を思い起こさせる熱い昭和な先生でもありました!
このお話も、先生が連絡ノートに是非お子さんに読んでもらってくださいと書いて下さったから、読めたと感謝です!
今の私にもとても響きます言葉の数々でもあります(;^ω^A
明日は、ジュニアも小学校最後の儀式、卒業式。
人生の節目に親子で、本当に今、身が引き締まる思いでおります。
最後まで読んでくれた方、ありがとうございます!
ヤフオク出品中↓
終了は、この水曜日の夜11時過ぎとなります。
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昨日ですが、ジュニアが読んでくれた、卒業前の最後の国語の教科書内容に、
非常に感慨深い思いで聞かせてもらいましたバンビーニです(涙)
全内容は、お近くの小学6年生の国語教科書にてどうぞ(笑)
私が特に感銘を受けた、抜粋文だけを書かせて頂こうと思います。
題名は「君たちに伝えたいこと」文 日野原 重明
「私がイメージする寿命とは、手持ち時間を削っていくというのとはまるで反対に、
寿命という大きな空っぽの器の中に、精一杯生きた一瞬一瞬を詰め込んでいくイメージです。」
「時間というものは、止まることなく常に流れています。
けれども時間というのは、ただの入れ物にすぎません。
そこに君が何を詰め込むかで、時間の中身、つまり時間の質が決まります。」
「君が君らしく、生き生きと過ごせば、その時間はまるで君に命を吹き込まれたように生きてくるのです。」
「できることなら、寿命という私に与えられた時間を、自分のためだけに使うのではなく、
少しでも他の人のために使う人間になれるようにと、私は努力しています。
なぜなら、他の人のために時間を使えた時、時間は一番生きてくるからです。」
「君が生まれた時に、君の周りの人達がどんなに幸せに包まれたかを、君は想像したことがありますか。
小さな君が笑うたびに、きっと君のそばにいた誰もが思わずニッコリと微笑みを返したことでしょう。
君が体いっぱいに泣いていれば、そばにいた人たちは、どんな用事で忙しくとも、
その手を止めて、君のもとに駆け寄ったことでしょう。」
「そうやって君のお世話をすることが、そばにいた人たちには時々、
とても疲れてしまうことであっても、そうすることはそばにいた人たちにとって、
他の何物でも味わうことのできない喜びでもあったのだと思いますよ。」
「なぜ、そうやって君の世話をすることで喜びがわいてくるのか。
そして、それがどんな喜びだったのか分かりますか。
それは、自分の時間を純粋に君のために使っていたからこそ、わいてくる喜びだったのです。」
「ほかの人のために自分の時間を使うということは、自分の時間がうばわれて、損をすることではないのです。
それどころか、他のことでは味わえない特別な喜びで心がいっぱいに満たされるのです。
こんな大きなお返しをもらえるなんてことなんて、滅多にありません。」
「長い人生においては自分の思うとおりにはいかないこともたくさん出てきます。
君が自分で選び取ったわけでもないのに、
辛くて悲しいことにも出会わなければならい日が、この先にはあるかもれません。
そんなときには、いつもの君のように、前向きに物事を考えたり、
かっこよく過ごしたりなんて、とてもできなくなりますね。
悲しい時の自分なんて消してしまいたいと思うことさえあるかもしれません。
でもそんな時にも、忘れないでいてほしいことがあります。」
「嬉しいだけが「君」ではありませんよ。
笑っている時の君だけが「君」ではありませんね。
悲しい時の君も、恥ずかしくて消えてなくなりたい時の君も「君」なのです。」
「だから、辛い時や悲しい時の自分も大切にしなければなりません。
成功して喜びでいっぱいになっているときの君も、失敗して涙を流す君も「君」です。
どんなときの自分も大事にすること。
自分のことをいつも大好きだと思っていること。これはとても大切なことです。」
この文章を書いた方は、日野原重明さん(97歳のとき)
東京の病院の医師でした。
ジュニアの6年生最後の年に受け持ってくれた先生が、念願の男性教師でした。
お陰で父親との接触が薄い(笑)ジュニアにとって、男とは!の形を体をはってたくさん教えて下さったお方で、私が小学生の頃を思い起こさせる熱い昭和な先生でもありました!
このお話も、先生が連絡ノートに是非お子さんに読んでもらってくださいと書いて下さったから、読めたと感謝です!
今の私にもとても響きます言葉の数々でもあります(;^ω^A
明日は、ジュニアも小学校最後の儀式、卒業式。
人生の節目に親子で、本当に今、身が引き締まる思いでおります。
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