奴隷から総理大臣!高橋是清③ | ののののブログ

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LAに住む引きこもり。猫より猫らしく暮らしてます。。時々、日本に帰ったら走り回ります。



続きです。


政界から引退した是清。しかし、また呼び戻されます。そのわけは、昭和金融恐慌。


戦後、金融不安して蔓延して、当時の大蔵大臣が銀行の破綻を示唆した事から、国民がパニックとなり預金の取付騒ぎとなったのです。


そこで、大蔵大臣として登場したのは、70才をすぎた是清でした。


このピンチを奇想天外なアイディアで、切り抜けます。


全ての銀行を2日間休ませ、3週間のモラトリアム。支払い猶予期間を認め緊急勅令をだしました。


休みをあけた銀行には、大量の札束が積み上げれていました。


この札束をみた国民は、安心し騒動は沈静化。

実は、この積み上げられた札束は偽物でした。

限られた時間で印刷しなければいけなかったので、片面しか印刷されていなかったのです。


金融危機を乗り切るとまた是清は、引退。


ところが、まもなく世界恐慌が起こります。

それが日本にも及びデフレ普及に陥りました。


またしても、是清が大蔵大臣に再登板。


金輸出を再禁止。公共事業、低金利政策、赤字国債の発行を断行。


すると、次第に日本は経済が回り始めました。


デフレ脱却後、これまで懸念材料になっていた軍事予算の削減に着手しました。


当然、軍部は予算削減に猛反発します。


予算には限りがあります。是清の苦労がわからない軍事予算を削減した軍部は、是清を敵視します。


そこで起こったのが2.26事件です。

青年将校らが、是清の自宅に押し入り、是清に弾丸を打ち込みました。


そして革命の犠牲者となり、最後を迎えることとなりました。


是清は楽観主義者だったらしく

自分は運が強いと言っていたそうです。


色々ありましたが、逆境にめげずに突き進む人生は、まさに強運の持ち主。


奴隷から総理大臣になる人はなかなか世界でもいないでしょう。。


2.26事件がなかったら、また日本の未来は変わっていたかもしれません。。


波瀾万丈すぎて、まとめるのも難しかった是清の人生。。


私が子供の頃、是清の人生を知っていたら、こんな人生もあるんだー!と、もっと自由にのびのびと別の道を選んでいたかもしれません。。


母親に言ったら「これ以上、何しでかすかわからないことをされると困る。」と苦言を言われそうですが。。(実際いわれていた)


全く関係ないですが、昔「ストップ!!ひばりくん!」という漫画があって、そのイラストが大好きだったので、母親に「私、ひばりという名前に改名したい!」と子供の時、申し出た事があります。。


「ひばりだなんて、今以上にうるさくなりそうな名前なんて勘弁して!!」と言われ何度も却下されました。。


「ひばり」という名前じゃなくても、ピーチクパーチク、一生言い続けてやります。。


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