日本時間に合わせます。。
今日は何の日?
1905年5月27日。
日露戦争の日本海海戦の火蓋が切られた日です。
日露戦争において、高橋是清は、日本の勝利に導いた立役者の1人と言っていいでしょう。
当時の日銀の副総裁を務めアメリカやヨーロッパを駆け巡り莫大な戦費の調達に成功したのです。
また、それだけではなく、国家の存亡を何度も救いました。日露戦争を中心に是清の人生を振り返ります。
高橋是清は、幕末に生まれ、妾の子だった為、仙台藩の足軽の養子になります。仙台藩から選ばれて横浜で英語を学びます。やがて13歳で、アメリカに留学することになります。
しかし、まだ子供の是清は、世話をする人が必要だろうとヴァン・リードという横浜に住む貿易商のアメリカ人に託すのですが、このヴァン・リードは、いわくつきの奴隷商人で、のちに、ハワイやグアムに日本人を低賃金で送り込むような悪党でした。
この悪党は、是清の渡米費や学費を着服し、渡米してすぐ、ヴァン・リードの実家が面倒をみるはずでしたが、ろくに勉強をさせてもらえず家事や農作業の毎日。与えられる食事は粗末ないものばかり。それに対して、是清は抵抗し、他所の家に売られてしまいます。是清は、騙され、奴隷契約にサインさせられてしまうのです。
奴隷として売られた是清は、学校にも行かせてもらえず、牧場や農園で朝から晩まで働かされ、奴隷として生活します。
そんな中でも人脈や英語力を伸ばし、なんとか日本人の協力も得て、自由の身になり、帰国することができます。
帰国してすぐ紹介で文部省に入ります。のちに東大となる大学南校に入学します。しかし、先生より英語ができるため教官のお手伝いとして15歳で、就職してします。
このままスムーズにいくかと思ったら、そうはいかないのが是清の人生。
またしても悪友騙されて、借金を押し付けられたり、大物たるゆえんなのか、芸者遊びを覚え、馴染みの芸者に転がり込みこんだ時期もあります。いわばヒモ男です。
その後、心を入れ替えたのか、大蔵省や農商務省で活躍し、特に特許や商標登録を日本に根付かせるために尽力します。
ところが、またまた是清は、騙されてしまいます。
南米ペルーで銀の採掘事業に乗り出たのです。勤めていた局長を辞職し、出資もし、開発責任者として現地に向かいましたが、ペルーに着いたらすぐ詐欺だとわかります。それは掘り尽くされた廃坑だったのです。
続く↓